美術検定3級 過去問/Q.95~99(新印象主義・ポスト印象主義)

点描画を開発したスーラやシニャックらによる美術運動の名前は?
① 総合主義
② ポスト印象主義
③ 新印象主義
④ 象徴主義
出典:美術検定実行委員会・編『美術検定3級問題集-知る、わかる、みえる』 (株)美術出版社 2021  p.56
スーラ グランド・ジャット島の日曜日の午後

スーラ 《グランド・ジャット島の日曜日の午後》
1891年 油彩・キャンヴァス
75×94㎝ 
ボストン美術館(アメリカ・ボストン)

答え ③ 新印象主義
ジョルジュ・スーラ(1859-91)
ジョルジュ・スーラ 写真
 1888年

この作品《グランド・ジャット島の日曜日の午後》は、すべてが小さな色の点の集まりで表現されています。

スーラは印象派の画家たちの色彩技法を、科学的に研究しました。
色彩理論や色の対比、補色の関係などを学び、絵具をパレット上で混合すると、明度が減ずることに気づきます。

そこで小さい色の斑点を規則的に並べて色調分割)、一定の距離を置くと…

配置された色の斑点が、観る側の網膜上で混じり合って(視覚混合)明るい画面を創り出します。

これが点描技法です!

もうひとり、スーラと並ぶ新印象主義の代表的画家が、

ポール・シニャック(1863-1935)

 スーラによるポール・シニャックの肖像
1890年  コンテ  個人蔵

こちらも点描画です。
ポール・シニャック フェリックス・フェネオンの肖像

《フェリックス・フェネオンの肖像》
1890年 油彩・キャンヴァス
ニューヨーク近代美術館

スーラシニャックなど、色彩に科学的にアプローチをしたのが新印象主義(点描主義)です。


ポスト印象主義
とは…(ポストは「~の後」を意味します)
印象主義の後に、印象主義の流れをくみながら、独自のスタイルを展開していった芸術家たちのことで、ゴッホやゴーガン セザンヌなどです。

ちょっとわかりにくですね。

3級 過去問/Q.96

セザンヌが強い影響を与えることになる20世紀初頭の美術運動は?
① フォーヴィスム
② ブリュッケ
③ 青騎士
④ キュビスム
出典:美術検定実行委員会・編『美術検定3級問題集-知る、わかる、みえる』 (株)美術出版社 2021  p.56
セザンヌ サント=ヴィクトワール山

セザンヌ 《サント=ヴィクトワール山》
1887年頃 油彩・キャンヴァス
67×92㎝ 
コートールド・ギャラリー(ロンドン)

答え ④ キュビスム
ポール・セザンヌ(1839-1906)
ポール・セザンヌ

セザンヌは、印象派のように自分の感覚に従って自然を描きつつ、しっかりとした画面構成を目指して、構図の研究や抽象化への実験を重ねています。

この作品は 4級Q.51にもでてきました。

「サント=ヴィクトワール山」は、重要なモチーフとして連作に取り組んでいます。

セザンヌ サント=ヴィクトワール山

 《サント=ヴィクトワール山》 
1904年頃 油彩・キャンヴァス
70×92㎝ フィラデルフィア美術館

セザンヌ サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール

 《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》 
1904-06年 油彩・キャンヴァス
65.5×81㎝ アーティゾン美術館(東京)

セザンヌ

 《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》 
1904-06年 油彩・キャンヴァス
63.5×83㎝ チューリッヒ美術館(スイス)

単純化 抽象化が進んでいますね!

対象物を分解して、違う角度から見たイメージで、再構成したのがキュビズムです。
のちにピカソブラックなど、そのキュビスムを牽引する作家たちに強い影響を与えました。

フォーヴィスムフランスで、
ブリュッケ青騎士は、ドイツで生まれた20世紀の新しい流れです。

3級 過去問/Q.97

ポール・ゴーガンと関係のある項目は?
① ポン=タヴェン派
② 新印象主義
③ ラファエロ前派
④ エクス=アン=プロヴァンス
出典:美術検定実行委員会・編『美術検定3級問題集-知る、わかる、みえる』 (株)美術出版社 2021  p.56
ポール・セリュジエ タリスマン

ポール・セリュジエ 《愛の森の風景(タリスマン)》 
1888年 油彩・キャンヴァス
27×21.5㎝ オルセー美術館(パリ)

答え ① ポン=タヴェン派

ポン=タヴェン派は、フランスのブルターニュの村、ポン=タヴェンに集まった、ゴーガンを中心とするベルナールセリュジエらによるグループ指します。

彼らは、明確な輪郭線単純化された形態鮮やかな色彩によって画面を構成。「総合主義」という理論を提唱し、印象派に対抗しました。

大きな色の面に、鮮やかな色彩が特徴です。

ポール・ゴーガン(1848-1903)
ポール・ゴ-ガン
ゴーガン ポン=タヴァンの水車小屋

《ポン=タヴァンの水車小屋》 
1894年 油彩・キャンヴァス
オルセー美術館

ゴーガン 説教の後の光景

《説教の後の光景》 
1888年頃 油彩・キャンヴァス
72×91㎝ スコットランド国立美術館

ポール・セリュジエ(1864-1927)
paul-sérusier

ポール・セリュジエ

ポール・セリュジエ Ferme au Pouldu

《Ferme au Pouldu 》 
1890年 油彩・キャンヴァス
72×60㎝ ナショナル・ギャラリー(ワシントン)

エミール・ベルナール(1868-1941)
エミール・ベルナール 自画像

エミール・ベルナール
自画像 1897年

エミール・ベルナール 草地のブルターニュの女たち

 《草地のブルターニュの女たち》 
1888年 油彩・キャンヴァス
74×92㎝ 個人蔵

そして、ゴーガンに学んだ若い画家たち(セリュジエドニヴュイヤールボナールら)が、パリで結成したグループがナビ派と呼ばれます。

3級 過去問/Q.98

ゴーガンが後半生に移住した島は?
① アッツ島
② オアフ島
③ レイテ島
④ タヒチ島
出典:美術検定実行委員会・編『美術検定3級問題集-知る、わかる、みえる』 (株)美術出版社 2021  p.58
ゴーガン かぐわしき大地

ゴーガン《かぐわしき大地》 
1892年 油彩・キャンヴァス
91×72㎝ 大原美術館(倉敷)

答え ④ タヒチ島

ゴーガンはタヒチ島で、その大自然とともに、生命感あふれる女性の姿に魅了されました。

この作品《かぐわしき大地》は、豊かな自然とともに、女性の力強い肉体が主役です。

タヒチに住んでからは、素朴で原始的な生活を題材に、紫 赤 緑などの強い色彩で、独特の雰囲気を持つ世界を表現しています。

ゴーガン マナオ・トゥパパウ(死霊が見ている)

《マナオ・トゥパパウ(死霊が見ている)》 
1892年頃 油彩・キャンヴァス
72×62㎝ オルブライト・ノックス美術館(NY)

《我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか》 
1897年 油彩・キャンヴァス
139×374㎝ ボストン美術館

この作品の詳細はこちらを👇

3級 過去問/Q.99

この作品の作者は?
① セザンヌ
② ゴーギャン
③ ゴッホ
④ ベルナール
出典:美術検定実行委員会・編『美術検定3級問題集-知る、わかる、みえる』 (株)美術出版社 2021  p.58
ゴッホ 糸杉のある麦畑

《糸杉のある麦畑》 
1889年 油彩・キャンヴァス
72×91㎝ ナショナル・ギャラリー(ロンドン)

答え ③ ゴッホ
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-90)
ゴーガンによるひまわりを描くファン・ゴッホの肖像

ゴーガンによる《ひまわりを描くファン・ゴッホの肖像》 
1888年 油彩・キャンヴァス
73×91㎝ ゴッホ美術館

ゴッホポスト印象主義の画家です。

オランダに生まれますが、パリに移って印象派を知り、浮世絵にも影響を受けながら、やがて内面の情熱がほとばしるような絵画を描きました。

1888年の春、明るい光を求めて、南フランスのアルルへ。
燃えるような色彩や、うねるような筆致の画風は、アルルへ行ってから編み出しています。

ゴッホ アルルの寝室

《アルルの寝室》
1888年 油彩・キャンヴァス
72×90㎝ ゴッホ美術館(アムステルダム)

アルルに芸術家たちの理想郷をつくろうと、さまざまな人たちに声をかけますが、やってきたのはゴーガンだけ。
そのゴーガンとの共同生活も、ゴッホが自らの耳を切り落とす事件をもって終わりとなります…

人生の後半は精神的に不安定で、37歳でピストル自殺したゴッホ。
画家として活動した期間は短く、生きている間に高い評価を得ることはありませんでした。

ゴッホ カラスのいる麦畑

《カラスのいる麦畑》
1990年 油彩・キャンヴァス
50×103㎝ ゴッホ美術館(アムステルダムj)

最晩年の作品です。

【参考図書】
知る、わかる、みえる 美術検定3級問題[基本編 basic] 美術検定実行委員会編  株式会社美術出版社  2021
改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト 美術検定実行委員会編  株式会社美術出版社  2019
この絵、誰の絵? 100の名作で西洋・日本美術入門  佐藤晃子著  株式会社美術出版社  2019
ルネサンスから十九世紀末まで 西洋の芸術史 造形篇II 水野千依編 株式会社幻冬舎 2013

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