美術検定3級 過去問/Q.247~249(大正・昭和時代~1945年の美術 2)

Q.247
大正末に結成された「1930年協会」に所属した画家はだれですか?
① 梅原龍三郎
② 東郷青児
③ 萬鉄五郎
④ 佐伯祐三
出典:美術検定実行委員会・編『美術検定3級問題集-知る、わかる、みえる』 (株)美術出版社 2021  p.124
佐伯祐三《レ・ジュ・ド・ノエル》

《レ・ジュ・ド・ノエル》 1925年

答え ④ 佐伯祐三
佐伯祐三 写真

佐伯祐三(さえき ゆうぞう/1898-1928)は、東京美術学校を卒業後フランスへ渡ります。ヴラマンクユトリロの影響を受けて、パリの街並みを、独自のスタイルで描いた洋画家です。

saeki-yūzō-postman

《郵便配達夫》
油彩・キャンヴァス
1928年 80.8×65㎝

1930年協会」はヨーロッパ留学の経験を持つ、佐伯祐三木下孝則小島善太郎里見勝蔵前田寛治ら5人が、1926年に結成した団体です。(1930年の結成ではないんですね。)

彼らは、エコール・ド・パリと呼ばれる1920年代のパリに留学した画家たちで、フォーヴィスムをもとにしながら、独自の自由な画風を追求します。またたくまに多くの画家が集いました。

フォーヴィスムについては、Q.112 を。

木下孝則(きのした たかのり/1894-1973)

気品ある美しい女性を数多く描いています。
まとめて観れるサイトがないので、名前で画像検索を。

小島善太郎(こじま ぜんたろう/1892-1984)
里見勝蔵(さとみ かつぞう/1895-1981)
前田寛治(まえた かんじ/1896-1930)

「まえだ」ではなく「まえた」です。

前田寛治《二人の労働者》

《二人の労働者》 1923年 大原美術館

1930年協会の由来ですが、ミレーやコロ―が活躍したバルビゾン派(1830~1870年頃)は「1830年派」とも呼ばれており、これに倣ったもの。

1930年の新運動の完成を目指していたようですが、佐伯祐三のフランスでの病死、木下孝則の渡欧、里見勝蔵の脱退、前田寛治も病死… などで協会は急速に弱体化します。
そして奇しくも1930年に解散しています。

主要な画家の多くは小島善太郎とともに、同年新たに結成した「独立美術協会」で活躍していくことになります。

👇参考 八王子市夢美術館

3級 過去問/Q.248

高村光太郎や萩原守衛ら大正期の日本の彫刻に大きな影響を与えた、西洋の彫刻家はだれですか?
① ミケランジェロ
② カノーヴァ
③ ベルニーニ
④ ロダン
出典:美術検定実行委員会・編『美術検定3級問題集-知る、わかる、みえる』 (株)美術出版社 2021  p.124
ロダン《考える人》

《考える人》

答え ④ ロダン
オーギュスト・ロダン(1840-1917)
ロダン 写真

近代彫刻の開拓者です。
人間の豊かな感情を、自由に構成して表現した作品は、若い芸術家に衝撃を与えました。

絵画を学んでいた荻原守衛(おぎわらもりえ/1879-1910)は、留学中にロダンの作品に出合い、感銘を受けて彫刻に転じます。

ロダン本人にも幾度か合い、直接の教えを受ける幸運に恵まれました。

荻原守衛と作品《女》

荻原守衛《女》

荻原守衛《坑夫》

《坑夫》

1910(明治43)年に文芸雑誌『白樺』が、ロダンの特集を組みます。大正に入ってからは、 高村光太郎が「ロダンの言葉」の翻訳を出しています。ロダンの影響はとても大きなものでした。

白樺教育館さんのサイトで、ロダンに贈った浮世絵のお礼として、ロダンの彫刻3点が初めて日本にもたらされた時の、白樺派の大興奮の様子を確認できます。
武者小路実篤柳宗悦(やなぎむねよし/思想家)の綴った言葉に引き込まれます。

👇「ロダンと白樺派」 おもしろいですよ!

👇ロダンの《地獄の門》についてはこちらもどうぞ。

3級 過去問/Q.249

雑誌『月映』の創刊メンバーの1人で、抽象的な版画作品で創作版画を切り開いた作家はだれですか?
① 竹久夢二
② 山本鼎
③ 川瀬巴水
④ 恩地孝四郎
出典:美術検定実行委員会・編『美術検定3級問題集-知る、わかる、みえる』 (株)美術出版社 2021  p.124
答え ④ 恩地孝四郎
恩地孝四郎 写真

恩地孝四郎(おんち こうしろう/1891-1955)は、日本の抽象美術の先駆者で、「創作版画」の先駆者の1人です。

東京美術学校で洋画や彫刻を学んだ後、竹久夢二の影響を受け、1914(大正3)年に仲間たちと、詩と版画の雑誌 「月映」(つくはえ)を創刊。目新しい抽象の版画を刷り込みました。

👇作風はこちらで確認を。

広重北斎の「浮世絵版画」は、版元のもと、絵師と彫師と摺師による共同作業でしたね。(Q.224参照 )

しかし「創作版画」は、自分で描き、自分で彫り、自分で摺るを原則として、自己表現したものです。複製が目的でもありません。

孝四郎はさまざまな試みで、作品を生み出していきました。

1918(大正7)年には、日本創作版画協会が設立され、「創作版画」は少しずつ、美術として受け入れられるようになっていきました。

孝四郎は、北原白秋や萩原朔太郎、室生屑星らの著書の装丁や挿絵でも活躍しています。

晩年は純粋な抽象表現に傾倒しています。

【参考図書】
知る、わかる、みえる 美術検定3級問題[基本編 basic] 美術検定実行委員会編  株式会社美術出版社  2021
改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト 美術検定実行委員会編  株式会社美術出版社  2019
続 西洋・日本美術史の基本 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2018
増補新装 カラー版日本美術史 辻惟雄監修 株式会社美術出版社 2020

この絵、誰の絵? 100の名作で西洋・日本美術入門  佐藤晃子著  株式会社美術出版社  2019

error: このコンテンツのコピーは禁止されています。