
東京生まれの彫刻家・詩人。父親は 彫刻家の高村光雲です。
東京美術学校彫刻科を卒業後、西洋画科でも学び、その後ニューヨーク、ロンドン、パリへと渡ります。
帰国後、1910年に雑誌『スバル』に「緑色の太陽」を発表します。

文芸雑誌『スバル』第一号表紙
個性こそ大事だと、自然を見る人間の内面的な活動や人格の表現を主張し、芸術家の自由を宣言します。
日本におけるフォーヴィスム宣言ともいえる論文で、同時代の画家たちに大きな影響を与えました。
👇内容はこちらを!
同年に文芸雑誌『白樺』も創刊されました。

創刊号
こちらでは志賀直哉や武者小路実篤たちが、自我と個性の尊重を説いています。
文学の雑誌ですが、セザンヌやゴッホ、ロダンなど、ポスト印象主義のまだ知られていなかった作家の紹介にも力を入れていました。
高村光太郎というと、まず「智恵子抄」が浮かびますが、こちらはブロンズ彫刻です。ロダンの影響を受けています。

高村光太郎 《手》
1918年 ブロンズ
30×29×15㎝ 東京国立近代美術館
3級 過去問/Q.243
高村光太郎や岸田劉生(きしだ りゅうせい)、萬鉄五郎(よろず てつごろう)らが参加しました。(岸田劉生と萬鉄五郎については次の問題で)
見たものにとらわれず、自由に鮮やかな色で描く作品は、まさに一つ前の問題に出てきた「緑色の太陽」の実践でした。

第1回展において
岸田劉生(左下)と木村荘八(右)
大正デモクラシーの自由主義的風潮に、若い芸術家たちは、自我の確立と個性の尊重を主張します。
このヒュウザン会(フュウザン会)の他、二科会(油絵の団体)や再興院展(日本画の団体)、アクション(二科会より分化)、三科(前衛グループの集まり)など、大小様々なグループが起こりました。
フュウザン(仏 fusain)は、木炭の意味で、デッサン用の木炭を指します。
3級 過去問/Q.244

《麗子肖像(麗子五歳之像)》
1918年 油彩・キャンヴァス
45.3×38㎝ 東京国立近代美術館
岸田劉生(きしだ りゅうせい/1891-1929)というと、《麗子像》ですね。

自画像
白馬会の研究所で黒田清輝に師事。「白樺」主催の美術展がきっかけで、武者小路実篤ら文化人とも知り合います。
1912年に結成されたヒュウザン会(フュウザン会)ですが、発起人の劉生と斎藤与里(さいとうより/1885-1959)の二人の確執によって、わずか2回の展覧会開催で解散します。
短い活動期間ですが、ポスト印象主義やフォーヴィスムの影響を受けた反アカデミックな彼らの動きは、日本で初めての表現主義的な美術運動として、先駆的な意義を持ちました。大正時代に引き継がれていきます。
👇こちらのサイトで
他、おさえておきたい作家は、

《裸体美人》1912年

《もたれて立つ人》1917年

《牛肉店帳場》1932年

《新宿駅》1935年
3級 過去問/Q.245
国をバックにした文展に反発して、独立した美術団体のひとつが二科会です。油絵の団体です。
若手やヨーロッパから帰国した洋画家たちが集まり、新しい西洋美術の流れを汲んだ作品を発表します。
刺激いっぱいで、次々と生み出される新しい彼らの作品は、フランス美術のショーウィンドーのようだとも言われました。
活躍したのが、
《金蓉》 1934年 東京国立近代美術館

《Nの家族》
1919年 大原美術館 重要文化財

《信仰の悲しみ》
1918年 大原美術館 重要文化財
👇こちらのサイトで確認を。
同じ1914(大正3)年、「再興院展」(さいこういんてん)も結成されます。こちらは亡き岡倉天心の意志を生かしてできた日本画の団体です。
明治期に岡倉天心を中心に、日本美術院が結成されましたね。天心没後に、横山大観、下村観山が中心となって再興させたものです。
こちらで活躍したのが、

《熱国之巻》(部分)
1914年 第1回再興院展 東京国立博物館 重要文化財

《名樹散椿》
1929年 山種美術館 重要文化財

《ブルトンヌ》
1920年

《乞食と女》1917年
その他、安田靫彦(やすだ ゆきひこ)や小川宇銭(おがわ うせん)など、新時代の日本画を発表しました。
再興当時は日本画の他に、洋画部と彫刻部がありましたが、現在は日本画のみです。
こちらも文展に反発して、独立した美術団体を志しました。
3級 過去問/Q.246

《裸婦図》
1920年 絹本彩色
163.6×109.1㎝ 山種美術館 重要文化財

村上華岳(むらかみ かがく/1888- 1939)です。
「国画創作協会」は、1918(大正7)年に京都の新進日本画家たちによって結成された団体です。こちらも保守的な文展に反発しての創立です。
華岳は、その結成に参加し、西洋美術と東洋美術の融合による新たな絵画の創造を目指しました。
華岳ともに活躍したのが、


《湯女図》
1918年 東京国立近代美術館 重要文化財
1926年には洋画家の梅原龍三郎を迎え、洋画部門である第二部が設置されます。
1928年に解散しますが、その第二部の洋画部が「国画会」と改称し独立します。
以後、絵画部、版画部、工芸部、写真部が加わり、全5部門の総合美術団体となって現在に至ります。
【参考図書】
知る、わかる、みえる 美術検定3級問題[基本編 basic] 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2021
改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2019
続 西洋・日本美術史の基本 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2018
増補新装 カラー版日本美術史 辻惟雄監修 株式会社美術出版社 2020
芸術教養シリーズ2 飾りと遊びの豊かなかたち 日本の芸術史 造形篇II 栗本徳子編 株式会社幻冬舎 2013
この絵、誰の絵? 100の名作で西洋・日本美術入門 佐藤晃子著 株式会社美術出版社 2019