美術検定3級 過去問/Q.242~246(大正・昭和時代の美術1 ~1945年)

高村光太郎が、個性的表現を主張した評論の題名はどれですか?
①「緑色の太陽」
②「朱色の太陽」
③「白色の太陽」
④「黄色の曙」
出典:美術検定実行委員会・編『美術検定3級問題集-知る、わかる、みえる』 (株)美術出版社 2021  p.122
答え ①「緑色の太陽」
高村光太郎(たかむらこうたろう/1883-1956)
高村光太郎

東京生まれの彫刻家・詩人。父親は 彫刻家の高村光雲です。

東京美術学校彫刻科を卒業後、西洋画科でも学び、その後ニューヨーク、ロンドン、パリへと渡ります。

帰国後、1910年に雑誌『スバル』に「緑色の太陽」を発表します。

文芸雑誌「スバル」第一号表紙

文芸雑誌『スバル』第一号表紙

個性こそ大事だと、自然を見る人間の内面的な活動人格の表現を主張し、芸術家の自由を宣言します。

日本におけるフォーヴィスム宣言ともいえる論文で、同時代の画家たちに大きな影響を与えました。

👇内容はこちらを!

同年に文芸雑誌『白樺』も創刊されました。

文芸雑誌『白樺』

創刊号

こちらでは志賀直哉武者小路実篤たちが、自我と個性の尊重を説いています。

文学の雑誌ですが、セザンヌゴッホロダンなど、ポスト印象主義のまだ知られていなかった作家の紹介にも力を入れていました。

高村光太郎というと、まず「智恵子抄」が浮かびますが、こちらはブロンズ彫刻です。ロダンの影響を受けています。

高村光太郎《手》

高村光太郎 《手》
1918年 ブロンズ 
30×29×15㎝ 東京国立近代美術館

3級 過去問/Q.243

次のうち、大正時代の美術会の動きとして起きたことはどれですか?
① 日本画滅亡論が叫ばれる
② ヒュウザン会(のちにフュウザン会と改称)が結成される
③ 白馬会が結成される
④ 戦争記録画が制作される
出典:美術検定実行委員会・編『美術検定3級問題集-知る、わかる、みえる』 (株)美術出版社 2021  p.122
答え ② ヒュウザン会(のちにフュウザン会と改称)が結成される

高村光太郎岸田劉生(きしだ りゅうせい)、萬鉄五郎(よろず てつごろう)らが参加しました。(岸田劉生と萬鉄五郎については次の問題で)

見たものにとらわれず、自由に鮮やかな色で描く作品は、まさに一つ前の問題に出てきた「緑色の太陽」の実践でした。

ヒュウザン会

第1回展において
岸田劉生(左下)と木村荘八(右)

大正デモクラシーの自由主義的風潮に、若い芸術家たちは、自我の確立個性の尊重を主張します。

このヒュウザン会フュウザン会)の他、二科会(油絵の団体)や再興院展(日本画の団体)、アクション(二科会より分化)、三科(前衛グループの集まり)など、大小様々なグループが起こりました。

フュウザン(仏 fusain)は、木炭の意味で、デッサン用の木炭を指します。

3級 過去問/Q.244

1912年に「ヒュウザン会(のちにフュウザン会と改称)」を結成した画家で、下図を描いたのはだれですか?
① 中原悌二郎
② 中村彜
③ 岸田劉生
④ 小出楢重
出典:美術検定実行委員会・編『美術検定3級問題集-知る、わかる、みえる』 (株)美術出版社 2021  p.122
岸田劉生《麗子肖像(麗子五歳之像)》

《麗子肖像(麗子五歳之像)》
1918年 油彩・キャンヴァス
45.3×38㎝ 東京国立近代美術館

答え ③ 岸田劉生

岸田劉生(きしだ りゅうせい/1891-1929)というと、《麗子像》ですね。

岸田劉生 自画像

自画像

白馬会の研究所で黒田清輝に師事。「白樺」主催の美術展がきっかけで、武者小路実篤ら文化人とも知り合います。

1912年に結成されたヒュウザン会フュウザン会)ですが、発起人の劉生斎藤与里(さいとうより/1885-1959)の二人の確執によって、わずか2回の展覧会開催で解散します。

短い活動期間ですが、ポスト印象主義やフォーヴィスムの影響を受けた反アカデミックな彼らの動きは、日本で初めての表現主義的な美術運動として、先駆的な意義を持ちました。大正時代に引き継がれていきます。

斎藤与里(さいとう より/1885-1959)

👇こちらのサイトで

他、おさえておきたい作家は、

萬鐡五郎(よろず てつごろう/1885-1927)
萬鉄五郎《裸体美人》

《裸体美人》1912年

萬鉄五郎《もたれて立つ人》

《もたれて立つ人》1917年

木村荘八(きむら しょうはち/1893-1958)
木村荘八《牛肉店帳場》

《牛肉店帳場》1932年 

木村荘八《新宿駅》

《新宿駅》1935年

3級 過去問/Q.245

安井曾太郎、小出樽重、東郷青児などが活躍した、1914年結成の美術団体はどれですか?
① 二科会
② 再興院展
③ 草土社
④ 国画創作協会
出典:美術検定実行委員会・編『美術検定3級問題集-知る、わかる、みえる』 (株)美術出版社 2021  p.122 
答え ① 二科会

国をバックにした文展に反発して、独立した美術団体のひとつが二科会です。油絵の団体です。

若手やヨーロッパから帰国した洋画家たちが集まり、新しい西洋美術の流れを汲んだ作品を発表します。

刺激いっぱいで、次々と生み出される新しい彼らの作品は、フランス美術のショーウィンドーのようだとも言われました。

活躍したのが、

安井曾太郎(やすい そうたろう/1888-1955)
安井曾太郎《金蓉》

《金蓉》
1934年 東京国立近代美術館

小出楢重(こいで ならしげ/1887-1931)
小出楢重《Nの家族》

《Nの家族》
1919年 大原美術館 重要文化財

関根正二(せきね しょうじ/1899年-1919)
関根正二《信仰の悲しみ》

《信仰の悲しみ》
1918年 大原美術館 重要文化財

東郷青児(とうごう せいじ/ 1897-1978)

👇こちらのサイトで確認を。

同じ1914(大正3)年、「再興院展」(さいこういんてん)も結成されます。こちらは亡き岡倉天心の意志を生かしてできた日本画の団体です。

明治期に岡倉天心を中心に、日本美術院が結成されましたね。天心没後に、横山大観下村観山が中心となって再興させたものです。

こちらで活躍したのが、

今村紫紅(いまむら しこう/1880-1916)
今村紫紅《熱国之巻》部分

《熱国之巻》(部分)
1914年 第1回再興院展 東京国立博物館 重要文化財

速水御舟(はやみ ぎょしゅう/1894-1935)
速水御舟《名樹散椿》

《名樹散椿》
1929年 山種美術館 重要文化財

山本鼎(やまもと かなえ/1882-1946)
山本鼎《ブルトンヌ》

《ブルトンヌ》
1920年

村山槐多(むらやま かいた/1896-1919)
村山槐多《乞食と女》

《乞食と女》1917年

その他、安田靫彦(やすだ ゆきひこ)や小川宇銭(おがわ うせん)など、新時代の日本画を発表しました。

再興当時は日本画の他に、洋画部と彫刻部がありましたが、現在は日本画のみです。

こちらも文展に反発して、独立した美術団体を志しました。

3級 過去問/Q.246

「国画創作協会」は、大正時代に京都の日本画科を中心に結成された日本画の団体です。そのメンバーで、下図を描いた画家を選んでください。
① 村上華岳
② 今村紫紅
③ 小杉放菴
④ 小林古径
出典:美術検定実行委員会・編『美術検定3級問題集-知る、わかる、みえる』 (株)美術出版社 2021  p.124
村上華岳《裸婦図》

《裸婦図》
1920年 絹本彩色
163.6×109.1㎝ 山種美術館 重要文化財

答え ① 村上華岳

村上華岳(むらかみ かがく/1888- 1939)です。

国画創作協会」は、1918(大正7)年に京都の新進日本画家たちによって結成された団体です。こちらも保守的な文展に反発しての創立です。

華岳は、その結成に参加し、西洋美術と東洋美術の融合による新たな絵画の創造を目指しました。

華岳ともに活躍したのが、

土田麦僊(つちだばくせん/1887-1936年)
日本画と西洋画を融合させて、新しい近代日本絵画を創ろうとしました。
土田麦僊 写真
土田麦僊《湯女図》

《湯女図》
1918年 東京国立近代美術館 重要文化財

1926年には洋画家の梅原龍三郎を迎え、洋画部門である第二部が設置されます。
1928年に解散しますが、その第二部の洋画部が国画会と改称し独立します。

以後、絵画部版画部工芸部写真部が加わり、全5部門の総合美術団体となって現在に至ります。

【参考図書】
知る、わかる、みえる 美術検定3級問題[基本編 basic] 美術検定実行委員会編  株式会社美術出版社  2021
改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト 美術検定実行委員会編  株式会社美術出版社  2019
続 西洋・日本美術史の基本 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2018
増補新装 カラー版日本美術史 辻惟雄監修 株式会社美術出版社 2020
芸術教養シリーズ2 飾りと遊びの豊かなかたち 日本の芸術史 造形篇II 栗本徳子編  株式会社幻冬舎  2013
この絵、誰の絵? 100の名作で西洋・日本美術入門  佐藤晃子著  株式会社美術出版社  2019

error: このコンテンツのコピーは禁止されています。