3級 過去問/Q.187
東大寺南大門
大仏様(だいぶつよう)です。
源平争乱の中で、東大寺大仏殿をはじめとする多くの寺院が焼け落ち、仏像も失われてしまいました。
戦乱が終息した鎌倉時代初めに、大規模な復興事業が行われます。
東大寺復興の総合プロデューサー(大勧進)は、中国に3度渡ったとする僧の重源(ちょうげん)です。
中国から、単純で合理的な最新の建築様式 「大仏様(だいぶつよう)」を新しく採用。柱と柱を貫通して結合させる「貫」を使用して強度を高め、大仏殿や南大門などの巨大な建築を建立しました。
一方興福寺は、できるだけもとのように建て直そうとされました。
北円堂はすっきりとした和様です。
3級 過去問/Q.188
《無著立像》
1212年 寄木造・彩色・玉眼
像高194.7㎝ 興福寺(奈良) 国宝
仏像の制作で南都復興の主役となったのは、慶派(けいは)とよばれる奈良の仏師たちです。
中でも運慶(うんけい)と快慶(かいけい)は、よく知られていますね。
この《無著立像》(むちゃくりゅうぞう)は、ひとつ前の問いで取り上げた「興福寺北円堂」を再建した際に造られたもので、運慶の代表作として知られます。
全体図はこちらで確認を👇
こちらは運慶と快慶がかかわって造られた巨象、東大寺南大門の《金剛力士像》です。
3級 過去問/Q.189
第7巻「四条釈迦堂」
1299年 東京国立博物館(国宝)
「いっぺんしょうにんえまき(いっぺんひじりえ)」です。
これは一遍の出家から、臨終までが描かれた絵巻で、全12巻 48段からなります。
一遍は「踊念仏」(おどりねんぶつ)を全国に広めており、その活動の様子とともに、各地の寺社や名所の景観が取り入れられた絵巻です。
奥書(おくがき/巻末などに記された意味や解説)によると、1299年に一遍の弟子(一説では弟か甥)にあたる 聖戒(しょうかい)が企画し、画僧である 法眼 円伊(ほうげん えんい)が、絵を描いたとされてます。
おそらく円伊を主宰とする、工房による制作のようです。
当時の人々の生活と風俗が、誇張なく描かれています。
「四条釈迦堂」
「京都の群衆」
3級 過去問/Q.190
《那智瀧図》
13-14世紀(鎌倉時代)
160.7x58.8 根津美術館 国宝
垂迹画(すいじゃくが)です。
平安時代から、極楽浄土を願う「来迎図」といった仏教絵画が、成熟を見せていましたが、その一方で、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)に基づいた「垂迹画」も描かれました。
「本地垂迹」とは、日本の神は、インド起源の仏が人々を救済するために姿をかえて現れた、というもの。
神の本来の姿である仏を本地仏(ほんちぶつ)といい、神と仏は本来同一であるとした神仏習合の考えかたです。
神社周辺地域の景観と、それに対応する仏像の諸尊を組み合わせた作品などが描かれました。
この《那智瀧図》(なちのたきず)は、御神体を風景画のように描いています。
他の答えですが、
「障屏画」(しょうへいが)は、障壁画(襖や衝立などの障子絵)と屏風絵の総称です。
「道釈画」(どうしゃくが)は、中国絵画の一部門で、道釈(道教と仏教)関係の人物画のことです。
【参考図書】
知る、わかる、みえる 美術検定3級問題[基本編 basic] 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2021
改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2019
続 西洋・日本美術史の基本 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2018
芸術教養シリーズ1 信仰、自然との関わりの中で 日本の芸術史 造形篇I 栗本徳子編 株式会社幻冬舎 2013