美術検定3級 過去問/Q.215~220(江戸時代中・後期の美術1)

日本の文人画を代表する画家・池大雅は何世紀に活躍したでしょうか?
① 14世紀
② 16世紀
③ 18世紀
④ 20世紀
出典:美術検定実行委員会・編『美術検定3級問題集-知る、わかる、みえる』 (株)美術出版社 2021  p.110
池大雅《十便十宜》釣便図

《十便十宜図帖 十便図・釣便》
1771年 川端康成記念館(神奈川)

答え ③ 18世紀
池大雅

福原五岳筆 池大雅像

池大雅(いけのたいが/1723-76)は、18世紀、江戸中期に活躍しました。
日本の南画(文人画)の大成者です。

幼くして画才を輝かせ、初期文人画家たちの指導を受けます。

文人画とは、中国の官僚で知識人や儒教的教養を備えた文人が、自らの理想を描いた絵画です。風景を前にして、心の中に内在するものを中心に、描き出そうとした絵をいいます。あくまでアマチュア絵画で、職業画家のものとは区別されていました。

これが江戸時代中期に日本に入り、日本的な趣を持って発展します。

そして、文人画風の「南画として確立させたのが、池大雅与謝蕪村(よさぶそん)らです。柔らかで叙情的な画風です。

下図は、与謝蕪村《十便十宜》
与謝蕪村《十便十宜》宜暁

《十便十宜図帖 十宜帖・宜暁》

《十便十宜》(じゅうべんじゅうぎ)は、池大雅与謝蕪村の合作です。

👇こちらのサイトが詳しいです。

3級 過去問/Q.216

それまでの中国の風景を描いた観念的な山水画ではなく、下図のような実際に目にした日本の風景を描いた新しい山水画をなんと呼びますか?
① 新景図
② 清景図
③ 真景図
④ 深景図
出典:美術検定実行委員会・編『美術検定3級問題集-知る、わかる、みえる』 (株)美術出版社 2021  p.110

下図はこちらで確認を👇

池大雅《浅間山真景図》
18世紀(江戸時代)  紙本墨画淡彩
57.2×103㎝ 個人蔵 

答え ③ 真景図

真景図(しんけいず)は、理想郷ではなく、特定の場所の写生に基づいた山水画を指します。
池大雅をはじめとする文人画家たちによって、広く試みられました。

大雅は旅行や登山が好きで、日本各地を旅し、目にした風景を描きました。
ひろく諸派の絵画を研究し、西洋の画法も取り入れ、個性的で新鮮な画風を確立しました。

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3級 過去問/Q.217

写生をもとにした新しい絵画により、18世紀の京都で絶大な人気を得た、江戸時代の写生画派繁栄の礎を築いたのはだれですか?
① 伊藤若冲
② 円山応挙
③ 池大雅
④ 蘇我蕭白
出典:美術検定実行委員会・編『美術検定3級問題集-知る、わかる、みえる』 (株)美術出版社 2021  p.110
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《雪松図屏風》右隻

答え ② 円山応挙
円山応挙

円山応挙(まるやまおうきょ/1733-95)は、近現代の京都画壇にまでその系統が続く「円山派」の祖です。

若い頃に、覗きからくりのための「眼鏡絵」を制作し、西洋の透視遠近法を体得するとともに、写生画を確立します。
写生画とは、実物・実景を見て描いた絵ですね。

写生」ということ自体は鎌倉時代からあり、動物や植物の姿はスケッチされていましたが、あくまで絵を描くための準備作業でした。

応挙は、中国から入ってきた写実的画風に大きな影響を受けて、古今の画風を貪欲に学びます。やがて実物をみているような克明な描写で、立体感のある写生画の確立にいたります。

それは京都画壇で絶大な人気となりました。

円山応挙《雪松図》左隻

《雪松図屏風》右隻
18世紀後半 三井記念美術館(東京)  国宝

これは鈴木春信の画で、眼鏡絵を除く様子を描いています。

鈴木春信 眼鏡絵をのぞく画

西洋画の遠近法を応用して描いた風景などを、「覗き眼鏡」という凸レンズを嵌めた箱を通して見ると、立体的にみえるというものです。

3級 過去問/Q.218

伊藤若冲は、下図に代表される《動植綵絵》30幅と《釈迦三尊像》3幅を、京都のある寺に寄進しました。その寺とはどこですか?
① 建長寺
② 神護寺
③ 相国寺
④ 禅林寺
出典:美術検定実行委員会・編『美術検定3級問題集-知る、わかる、みえる』 (株)美術出版社 2021  p.112
伊藤若冲《南天雄鶏図》

《南天雄鶏図(《動物綵絵》より)
1757-66年 絹本著色
全30幅 141.8~142.9×79~79.8㎝
宮内庁 三の丸尚蔵館(東京)

答え ③ 相国寺
相国寺
Photo by 663highland, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:150815_Shokokuji_Kyoto_Japan02s3.jpg

法堂 重要文化財

相国寺(しょうこくじ)は、京都にある臨済宗相国寺派大本山の寺院です。

伊藤若冲(いとうじゃくちゅう/1716-1800)
伊藤若冲

《雪松図屏風》右隻
18世紀後半 三井記念美術館(東京)  国宝

京都の青物問屋の息子で、家業を離れてひたすら絵に打ち込みました。庭に鶏を放して、写生に没頭したエピソードは有名です。

若冲40代のとき、鋭い観察力と濃厚な彩色技法で描いた連作が《動植綵絵》(どうしょくさいえ)です。

伊藤若冲《池辺群虫図》
《池辺群虫図(《動物綵絵》より)

4級のQ.81にも出てきました。

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3級 過去問/Q.219

18世紀京都の奇想の画家、曾我蕭白について述べたものはどれですか?
① 升目描きと呼ばれる従来の技法を超えた手法を試みた
② 円山・四条派を形成した
③ 水墨の背景描写に極彩色の仙人たちを描いた作品がある
④ 無量寺の襖絵として、奥から飛び出してくるような虎を描いた
出典:美術検定実行委員会・編『美術検定3級問題集-知る、わかる、みえる』 (株)美術出版社 2021  p.112
曾我蕭白《蝦蟇・鉄拐仙人図》

《蝦蟇・鉄拐仙人図》(がま・てっかいせんにんず) 
ボストン美術館

答え ③ 水墨の背景描写に極彩色の仙人たちを描いた作品がある

曾我蕭白(そがしょうはく/1730-81)も、若冲同様、奇想の画家と呼ばれます。

見るからに異彩を放つ画風で、蕭白自身も実生活で数々の奇行や逸話を残しています。
Q.215、216に出てきた、南画池大雅とは仲が良く、親しく交流をしていたそう。

江戸時代中期には、ざまざまな美術に、個性的な作家の活躍がみられます。
蕭白においては贋作も多かったようで、それだけ人気が高かった証拠です。

変わったものほど 魅かれますよね。

3級 過去問/Q.220

下図の洋風画を描いたのはだれですか?
① 酒井抱一
② 小野田直武
③ 久隅守景
④ 浦上玉堂
出典:美術検定実行委員会・編『美術検定3級問題集-知る、わかる、みえる』 (株)美術出版社 2021  p.112
小野田直武《不忍池図》

《不忍池図》
1770年代 絹本着色 8.5×132.5㎝ 
秋田県立近代美術館蔵 重要文化財

答え ② 小野田直武

小野田直武(おのだなおたけ/1750-80)は、秋田藩角館城代に仕えていた武士の子として生まれます。子どもの頃より絵の才能に恵まれていました。

1773年、23歳の時、秋田に来ていた平賀源内と出会い、洋画の手ほどきを受けます。それをきっかけに江戸へ。

源内の友人である杉田玄白らが訳した『解体新書の挿絵を担当しました。

解体新書
小野田直武 解体新書 挿絵
inoue-hiro, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kaitai-Shinsyo-Japan-published-1774.jpg

はじめに出てきた風景画は、江戸の名所、上野の「不忍池」(しのばずのいけ)です。

直武は、日本画と西洋画を融合した画風を確立し、洋画派の1つ「秋田蘭画」の一角を担いました。

そしてこの直武に学んだ絵師が、司馬江漢(しばこうかん/1747-1818)です。

shiba-kōkan-mimegurinokei

《三囲景》1783年 

司馬江漢は、正遠近法を用いて風景画を描き、日本で初めて銅版画を制作しました。
油絵にも取り組んで、新たなジャンルを切り開いた作家です。

この《三囲景》(みめぐりのけい)に描かれた川は、隅田川です。
実際の風景とは左右逆に描かれていて、反射式覗き眼鏡で覗いた時に、本来の景色を鑑賞できるようになっています。

すごいですね!

【参考図書】
知る、わかる、みえる 美術検定3級問題[基本編 basic] 美術検定実行委員会編  株式会社美術出版社  2021
改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト 美術検定実行委員会編  株式会社美術出版社  2019
続 西洋・日本美術史の基本 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2018
増補新装 カラー版日本美術史 辻惟雄監修 株式会社美術出版社 2020
芸術教養シリーズ2 飾りと遊びの豊かなかたち 日本の芸術史 造形篇II 栗本徳子編  株式会社幻冬舎  2013
この絵、誰の絵? 100の名作で西洋・日本美術入門  佐藤晃子著  株式会社美術出版社  2019

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