3級 過去問/Q.113
《街の五人の女》
1913年 油彩・キャンヴァス
120×90㎝ ルートヴィヒ美術館(ケルン)
ブルジョワ的な価値観を批判する、都会の風景を多く描き、着飾った人々の群れを、垂直な身体や強烈な色の対比で、風刺的に描いています。
ドイツの表現主義の1つ「ブリュッケ」は、1905年ドイツのドレスデンで結成されました。メンバーはザクセン工科大学建築科の学生らです。
機械文明に毒されないよう、人間性を回復することを目指しました。
ブリュッケとは「橋」の意味。自分たちが未来への芸術の橋渡しになる、という意味がこめられていました。原始的な激しい色と、誇張された形態が特徴です。
10年ほどで解散しています。
キルヒナーは57歳の時、ナチスによって退廃芸術だとされ、美術館から作品を撤去されます。その翌年、自ら命を絶っています。
その他、ブリュッケの作家は
《最後の晩餐》1909年
フランスのフォービスムも、1905年のサロンがきっかけでした。
ほぼ同時期ですね!
3級 過去問/Q.114
《青い馬Ⅰ》
1911年 油彩・キャンヴァス
112×84.5㎝ レンバッハハウス美術館(ミュンヘン)
カンディンスキーやマッケらと、1911年から「青騎士」の展覧会活動を始めました。
「青騎士」もドイツ表現主義の1つ。前の問題に出てきた「ブリュッケ」から6年後です。ミュンヘンで結成されました。
外観の背後にある隠れた根底や、その精神を大切にすべきだという発想で、対象を具体的には再現しない絵画、まさに抽象につながる絵画を模索しました。
マルクは動物を好んで描いていましたが、この活動を通じて、抽象的な作品を展開していきます。
フランツ・マルク《マンドリル》
1913年 油彩・キャンヴァス
112×84.5㎝ ピナコテーク・デア・モデルネ(ミュンヘン)
第一次世界大戦が勃発すると、ドイツ兵として前線に赴き、36歳の若さで戦死。
残念過ぎますね…
《青い馬Ⅰ》についてはこちらを👇
《コンポジション7》
1913年 油彩・キャンヴァス
200×302㎝ トレチャコフ美術館(モスクワ)
《明るい家》
1914年 水彩 26×20㎝
3級 過去問/Q.115
《マルクの庭の熱風》
1915年 水彩・紙
20×15㎝ レンバッハハウス美術館(ミュンヘン)
スイスのベルンに、ドイツ人として生まれます。
画家としてミュンヘンで活動し、「青騎士」の作家たちと知り合います。風刺的な線描画から、しだいに抽象的な作品を透明感ある色彩で描くようになります。
1914年のチュニジア旅行によって、色彩的、主題的に大きな影響を受けています。
様々な技法を受け入れて、後に単純で記号のような作品を多く描いています。
《ドゥルカマラ島》
1938年 油彩、黄麻布に貼りつけた新聞紙
88×176㎝ パウル・クレーセンター(スイス)
「青騎士」は、戦争のためにわずか3年ほどで解散することになりますが、20世紀の新しい美術の可能性を広げました。
【参考図書】
知る、わかる、みえる 美術検定3級問題[基本編 basic] 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2021
改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2019
芸術教養シリーズ7 欧米のモダニズムとその後の運動 近現代の芸術史 造形篇I 林洋子編 株式会社幻冬舎 2013