美術検定3級 過去問/Q.121~123(デ・ステイル・シュプレマティスム・構成主義)

モンドリアンが提唱したのはなんという主義ですか?
① 新感覚主義
② 新構造主義
③ 新造形主義
④ 新構成主義
出典:美術検定実行委員会・編『美術検定3級問題集-知る、わかる、みえる』 (株)美術出版社 2021  p.68
モンドリアン コンポジション

1921年 油彩・キャンヴァス
59.5×59.5㎝ デンハーグ美術館(オランダ)

答え ③ 新造形主義
ピエト・モンドリアン(1872-1944)
モンドリアン

オランダ出身の抽象画家。
キュビスムを経て新造形主義に至ります。

それは自然を、その最も根源的な原理まで遡ることによって行きつく、垂直線水平線の構図に、3原色である青・赤・黄と、を組み合わせるという美学です。

それはモンドリアンにとって、宇宙の調和を表現する構成原理でした。

1917年に、仲間とともに芸術雑誌「デ・ステイル」を創刊。
デ・ステイル 創刊

第1号(表紙デザイン ヴィルモス・ハスザー)

自らの芸術理論を「新造形主義」と名付けて、デ・ステイルというグループも結成します。
ステイル」とはオランダ語で「様式」で、英語では 「Style」、 スタイルですね。

抽象美術が単純で癖のない形態であることや、自由な線と原色などを、従来の具象美術と対比させて、その優位性を示そうとしました。

モンドリアン《ブロード・ウェイ・ブギウギ》

《ブロード・ウェイ・ブギウギ円卓
1942-43年 油彩・キャンヴァス
127×127㎝ ニューヨーク近代美術館

mondriaan-mode

1966年

モンドリアンの考えは、絵画、デザイン、建築など、幅広い分野で取り入れられ、現在のデザインの基礎となっています。

イヴ・サン=ローランの「モンドリアン・ルック」も、影響をうけた一つです。

3級 過去問/Q.122

下図のマレーヴィチの作品には「〇〇〇〇絵画」という題名がつけられていますが、「〇〇〇〇」にあてはまる言葉はどれですか?
① シュプレマティスム(絶対主義)
② レイヨニスム(光線主義)
③ ピュリスム(純粋主義)
④ ネオ・プラスティシスム絵画(新造形主義)
出典:美術検定実行委員会・編『美術検定3級問題集-知る、わかる、みえる』 (株)美術出版社 2021  p.68
マレーヴィッチ《シュプレマティスム絵画》

1915年 油彩・キャンヴァス
101.5×62㎝ アムステルダム市立近代美術館

答え ① シュプレマティスム(絶対主義)
カジミール・マレーヴィチ(1879-1935)
カジミール・マレーヴィチ

ウクライナに生れ、ロシアで活躍した抽象画家。
この作品のタイトルは、《シュプレマティスム絵画》です。

未来派キュビスムの影響を受けて、ロシアでも1910年代の半ばから芸術運動が活発になります。

1915年、ペトログラード(サンクトペテルブルグ)で開催されたグループ展「最後の未来派展、0-10」に、マレーヴィチは自らシュプレマティスム》(絶対主義)と呼ぶ39点の絵画を出品します。

シュプレマティスム」(絶対主義)とは、形態を徹底的に単純化して生まれたもので、その最も単純で 純粋な幾何学図形に、すべてを表現しようとした運動です。

ものや現実に束縛されない、次元を超えた絶対的な世界を目指しました。

マレーヴィチは、印象派象徴主義未来派キュビスムなど、次々とスタイルをかえています。

マレーヴィッチ《花売り》

《花売り》
1903年 ロシア美術館

《冬》
1909年 ルートヴィヒ美術館(ケルン)

そしてヨーロッパロシアの伝統とを融合させて、「シュプレマティスムを生み出しました。

マレーヴィッチ《黒の正方形》

《黒の正方形
1915年 トレチャコフ美術館(モスクワ)

マレーヴィッチ《白の上に白》

《白の上に白》
1918年 ニューヨーク近代美術館

まさに究極の作品ですね!

ちなみに👇こちらの作品は、リーマンショック直後の2008年11月に、59億円で落札されています!

kazimir-malevich-composition-1916

《シュプレマティストの構成
1916年 

3級 過去問/Q.123

次の作家の中でロシア・アヴァンギャルドのグループに属さないのはだれですか?
① アレクサンドル・ロトチェンコ
② エル・リシツキー
③ ウラジミール・タトリン
④ テオ・ファン・ドゥースブルフ
出典:美術検定実行委員会・編『美術検定3級問題集-知る、わかる、みえる』 (株)美術出版社 2021  p.68
答え ④ テオ・ファン・ドゥースブルフ

ドゥースブルフ以外は皆、ロシア・アヴァンギャルドの作家です。

ロシア・アヴァンギャルドは、1910年代に端を発し、1930年代初めまでロシアで展開された芸術運動の総称です。建築、文学、絵画、デザイン、写真、映画など、多岐にわたります。

1917年のロシア革命によって、社会主義国となったロシアでは、あらゆるものが目的にかなうよう、生産性実用性が求められるようになり、構成主義が生まれます。

その発端は、

ウラジミール・タトリン(1885-1953)
ウラジミール・タトリン

キュビスムの世界を、実際に彫刻に応用しようとして、鉄板や木片で造ったレリーフを「構成(コンストラクション)」と呼んだことに始まります。

タトリン レリーフ
1916年
タリトン 第三インターナショナル記念塔

《第三インターナショナル記念塔(模型)》
1919-20年(現存せず)

エッフェル塔に匹敵する高さの鉄塔の構想です。
実現はされなかったものの、ガラスという新しい素材で、高度な科学技術が詰め込まれたものでした。

アレクサンドル・ロトチェンコ(1891-1956)
アレクサンドル・ロトチェンコ

絵画やデザイン、舞台美術や写真など幅広く活躍。
強い斜線写真のアップなど、インパクトのある画面を構成しています。

エル・リシツキー(1890-1941)
エル・リシツキー
エル・リツシキー《プロウン》

《プロウン》
1922年 ニューヨーク近代美術館

プロウン(新しいものを確立するためのプロジェクト)を提唱して、シュプレマティスム幾何学の形態と、建築を結びつけようとしました。

1920年代、ロシア革命の成功とともに隆盛を極め、世界中に影響を与えた構成主義ですが、スターリンの独裁が始まると、1932年にすべての芸術団体は解散させられ、ロシア・アヴァンギャルドは終わりを迎えます。

ひとり違ったのが、

テオ・ファン・ドゥースブルフ(1883-1931)
テオ・ファン・ドゥースブルフ

ドゥースブルフは、オランダの画家・建築家で、モンドリアンらと「デ・ステイル」を展開した中心人物です。

後にドゥースブルフは、「デ・ステイル」の理念を、絵画だけでなく建築や日用品にまで適用するため、「垂直線と水平線」に「斜線」を取り入れ、モンドリアンと決別しています。(モンドリアンがグループを脱退)

ドゥースブルフ コンポジション7

《コンポジション7(三美神)》
1917年

【参考図書】
知る、わかる、みえる 美術検定3級問題[基本編 basic] 美術検定実行委員会編  株式会社美術出版社  2021
改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト 美術検定実行委員会編  株式会社美術出版社  2019
続 西洋・日本美術史の基本 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2018

芸術教養シリーズ7 欧米のモダニズムとその後の運動 近現代の芸術史 造形篇I 林洋子編  株式会社幻冬舎  2013

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