3級 過去問/Q.234
《舞妓》
1893年 油彩・キャンヴァス
81×65.2㎝ 東京国立博物館(黒田記念館) 重要文化財
黒田清輝(くろだせいき/1866-1924)は、1884年18歳で法律を学ぶためパリへ渡ります。
ところが、パリで山本芳翠や美術商の林忠正に出会い、絵の道を志すことになります。パリには10年滞在します。
印象派から学んだ明るい外光表現は、帰国時に大きな驚嘆をもって迎えられました。
3級 過去問/Q.235
第5回白馬会展覧会 1900年
Q.233で「明治美術会」の発足について少し取りあげましたね。工部美術学校出身の洋画家たちによって発足した、日本で最初の洋風美術団体です。
黒田はパリから帰国した1893年、その明治美術会に入会します。
その感覚的に明るい印象派的画風は「外光派(新派・紫派)」と呼ばれました。
それに対して、従来の明治美術会の主流であった、写実的な描写と褐色系の暗い色調は「脂派(やには・旧派)」と呼ばれ、対比されるようになります。
入会から3年後、黒田は明治美術会を脱退。黒田に共感する画家たちと、新たに「白馬会」を結成しました。
第6回白馬会展ポスター 1901年
結成の同年、東京美術学校に西洋画科も設置され、黒田は教授となり、フランスの美術学校の教育法を取りいれました。
「白馬会」は明治美術会に代わって、明治後半期の洋画の中心的な団体となります。洋画研究所を設けて後進を育成するなど、洋画の普及に貢献しました。
黒田は、39歳から15年間、東京高等商業学校(現一橋大学)では、仏語の教鞭も執っています。
3級 過去問/Q.236
1907年に文展が設立されます。(問題文の官展とは、政府主催の美術展覧会のこと。)
日本の美術はこの文展によって初めて「日本画」「洋画」「彫刻」という分類が作られました。
その後、名称が変わっていきます。
1919年 帝展(帝国美術展覧会)
「工芸」の部が加えられました。(1927年)
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1937年 新文展(新文部省美術展覧会)
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戦後、
1946年 日展(日本美術展覧会)となります。
「書」の部が追加されます。(1948年)
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そして
1958年 民間団体として、社団法人日展へ。
官展時代の日展に対して、こちらは新日展と称する場合もあります。(2012年には、公益社団法人日展へ。)
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3級 過去問/Q.237
《海の幸》
1904年 油彩・キャンヴァス
70.2×182㎝ アーティゾン美術館 重要文化財
青木繁(あおきしげる/1882-1911)は、福岡県久留米の生まれ。
東京美術学校へ入学し、黒田清輝から油絵を学びます。
在学中から、歴史や神話に興味を持ち、神話画を制作。1903(明治36)年発表の《黄泉比良坂》(よもつひらさか)で、白馬賞を受賞しています。
《海の幸》はその翌年、千葉県の布良海岸で描いたもので、青木にとって記念碑的作品となっています。(4級Q.94でも)
《黄泉比良坂》
1903年 紙/色鉛筆/パステル/水彩 48.5×33.5㎝
東京藝術大学大学美術館
《わだつみのいろこの宮》
1907年 油彩 180×68.3㎝
アーティゾン美術館 重要文化財
ラファエル前派にも興味を持ち、藤島武二からの影響も受けています。
明治浪漫主義の立役者になりましたが、恋愛と放浪と貧困の中、29歳の若さで亡くなっています。
【参考図書】
知る、わかる、みえる 美術検定3級問題[基本編 basic] 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2021
改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2019
続 西洋・日本美術史の基本 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2018
増補新装 カラー版日本美術史 辻惟雄監修 株式会社美術出版社 2020
芸術教養シリーズ2 飾りと遊びの豊かなかたち 日本の芸術史 造形篇II 栗本徳子編 株式会社幻冬舎 2013
この絵、誰の絵? 100の名作で西洋・日本美術入門 佐藤晃子著 株式会社美術出版社 2019