3級 過去問/Q.209
徳川家康を祀るため1617年に、家康の子である二代将軍秀忠によって建立されました。
江戸時代前期は、徳川幕府の下で、幕藩体制が確立されていく時期です。
その権威の象徴である江戸城ですが、1636年に完成するも、明暦の大火(1657)で天守は焼け落ち、再建されることはありませんでした。
その趣きをしのぶことができるのが、日光東照宮です。
現在 目にしている日光東照宮は、1636年 三代家光によって建て直されたもので、贅をつくした装飾が特徴です。
この陽明門は、実在の動植物から想像上のものまで、和漢さまざまなモチーフが、びっしりと埋め尽くされています。
もうひとつ、京都における将軍家の拠点、二条城にも同じような装飾がみられます。
こちらも天守は落雷で焼失しましたが、この二の丸御殿が残っています。
3級 過去問/Q.210
狩野探幽《雪中梅竹遊禽図襖》1634年
狩野探幽(かのうたんゆう)は、桃山時代に活躍した絵師で、狩野永徳の孫です。
16歳で幕府の御用絵師となり、徳川家康・秀忠・家光・家綱の四代の将軍に仕えています。
元信や永徳によって発展した狩野派は、さらに強化されて、徳川幕府による絵画制作を独占しました。
この《雪中梅竹遊禽図襖》(せっちゅう ばいちく ゆうきんず ふすま)は、1634年に家光の上洛に備え新築された、名古屋城上洛殿の障壁画です。
探幽 32歳の時の作品です。
二条城の襖絵を描いたものも、探幽に率いられた狩野派です。
名古屋城より8年ほど前です。
詳しくはこちら二条城のHPで👇
二条城では、桃山時代の豪壮華麗な様式でしたが、名古屋城では、広く余白をとる画風へと転換します。
桃山様式への追従をやめて、淡白で新しい美意識の、江戸狩野様式をつくり出しました。
明治に至るまで、狩野派の規範として守り継がれています。
平和が到来した江戸時代、美意識の変化を感じますね。
3級 過去問/Q.211
書院群(左から新御殿・楽器の間・中書院)
17世紀初めに、京都の桂に八条宮家(はちじょうのみやけ)の別荘として創建されました。
この桂離宮は、数寄屋(すきや)建築の代表の1つです。
「数寄」とは、和歌や茶の湯、生け花などの風流を好むこと。
「数寄屋」は、好みに任せて作った家といった意味で「茶室」をさします。
書院造に茶室の要素を取り込み、質素な中にすっきりとしたデザインです。
ドイツ人建築家のブルーノ・タウトは、1939年に刊行された「日本美の再発見」の中で、桂離宮を「永遠なるもの」と絶賛しています。
こちらは創建以来 火事もなく、ぼぼ創建当時の姿を今に伝えています。
智仁親王は、豊臣秀吉が嫡男(ちゃくなん・正室の生んだ男子)に恵まれなかったため、親子関係を結びます。鶴松が誕生すると その関係が解かれ、その際に秀吉から邸宅と土地を与えられて、八条宮家を興しています。造庭に優れた才能をみせました。
17世紀の中頃、後水尾天皇(ごみずのおてんのう)によって造営された「修学院離宮」(しゅうがくいんりきゅう)もまた、数寄屋造を代表する建築です。
市松模様の襖ですね。ここにも桃山時代とは違う、洗練された造形感覚が生まれていますね。
【参考図書】
知る、わかる、みえる 美術検定3級問題[基本編 basic] 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2021
改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2019
続 西洋・日本美術史の基本 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2018
増補新装 カラー版日本美術史 辻惟雄監修 株式会社美術出版社 2020
芸術教養シリーズ1 信仰、自然との関わりの中で 日本の芸術史 造形篇I 栗本徳子編 株式会社幻冬舎 2013
この絵、誰の絵? 100の名作で西洋・日本美術入門 佐藤晃子著 株式会社美術出版社 2019