美術検定3級 過去問/Q.209~211(江戸時代前期の美術1)

現在の栃木県日光市に徳川秀忠が建立した、家康を祀る建築物はなんといいますか?
① 日光東照宮
② 妙義神社
③ 上野東照宮
④ 霧島神社
出典:美術検定実行委員会・編『美術検定3級問題集-知る、わかる、みえる』 (株)美術出版社 2021  p.108
日光東照宮
663highland, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:200801_Nikko_Tosho-gu_Nikko_Japan03s3.jpg
答え ① 日光東照宮

徳川家康を祀るため1617年に、家康の子である二代将軍秀忠によって建立されました。

江戸時代前期は、徳川幕府の下で、幕藩体制が確立されていく時期です。
その権威の象徴である江戸城ですが、1636年に完成するも、明暦の大火(1657)で天守は焼け落ち、再建されることはありませんでした。

その趣きをしのぶことができるのが、日光東照宮です。
現在 目にしている日光東照宮は、1636年 三代家光によって建て直されたもので、贅をつくした装飾が特徴です。

日光東照宮 陽明門
日光東照宮 陽明門 詳細
日光東照宮 陽明門 詳細

この陽明門は、実在の動植物から想像上のものまで、和漢さまざまなモチーフが、びっしりと埋め尽くされています。

もうひとつ、京都における将軍家の拠点、二条城にも同じような装飾がみられます。

二条城 二の丸御殿唐門
Tomomarusan, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Nijo_Castle_Karamon2.JPG
二条城 二の丸御殿唐門 
二条城 二の丸御殿 玄関車寄
Reggaeman, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Nijo_Castle_Ninomaru_01.JPG
二条城 二の丸御殿玄関 

こちらも天守は落雷で焼失しましたが、この二の丸御殿が残っています。

3級 過去問/Q.210

狩野探幽による下図の作品は、どの城郭の障壁画だったでしょうか?
① 江戸城
② 大阪城
③ 二条城
④ 名古屋城
出典:美術検定実行委員会・編『美術検定3級問題集-知る、わかる、みえる』 (株)美術出版社 2021  p.108
狩野探幽《雪中梅竹遊禽図襖》

狩野探幽《雪中梅竹遊禽図襖》1634年

答え ④ 名古屋城
狩野探幽

狩野探幽(かのうたんゆう)は、桃山時代に活躍した絵師で、狩野永徳の孫です。

16歳で幕府の御用絵師となり、徳川家康・秀忠・家光・家綱の四代の将軍に仕えています。

元信や永徳によって発展した狩野派は、さらに強化されて、徳川幕府による絵画制作を独占しました。

この《雪中梅竹遊禽図襖》(せっちゅう ばいちく ゆうきんず ふすま)は、1634年に家光の上洛に備え新築された、名古屋城上洛殿障壁画です。
探幽 32歳の時の作品です。

二条城襖絵を描いたものも、探幽に率いられた狩野派です。
名古屋城より8年ほど前です。

二条城 襖絵 
《大政奉還》頓田丹陵筆

詳しくはこちら二条城のHPで👇

二条城では、桃山時代豪壮華麗な様式でしたが、名古屋城では、広く余白をとる画風へと転換します。
桃山様式への追従をやめて、淡白で新しい美意識の、江戸狩野様式をつくり出しました。
明治に至るまで、狩野派の規範として守り継がれています。

平和が到来した江戸時代、美意識の変化を感じますね。

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3級 過去問/Q.211

下図は江戸時代初期の建造物で、のちにブルーノ・タウトが絶賛した「数奇」を象徴する建築ですが、その名称は次のうちどれですか?
① 三十三間堂
② 姫路城
③ 鹿苑寺金閣
④ 桂離宮
出典:美術検定実行委員会・編『美術検定3級問題集-知る、わかる、みえる』 (株)美術出版社 2021  p.108
桂離宮
KimonBerlin, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Katsura_Rikyu_(3264799678).jpg

書院群(左から新御殿・楽器の間・中書院)

答え ④ 桂離宮
桂離宮

17世紀初めに、京都の桂に八条宮家(はちじょうのみやけ)の別荘として創建されました。

この桂離宮は、数寄屋(すきや)建築の代表の1つです。
数寄」とは、和歌や茶の湯、生け花などの風流を好むこと。
数寄屋」は、好みに任せて作った家といった意味で「茶室」をさします。

書院造茶室の要素を取り込み、質素な中にすっきりとしたデザインです。

ドイツ人建築家のブルーノ・タウトは、1939年に刊行された「日本美の再発見」の中で、桂離宮を「永遠なるもの」と絶賛しています。

こちらは創建以来 火事もなく、ぼぼ創建当時の姿を今に伝えています。

新御殿一の間の桂棚
新御殿一の間の桂棚
ちなみに、つくったのは、八条宮智仁親王(はちじょうのみや としひとしんのう)。
八条宮智仁親王

智仁親王は、豊臣秀吉が嫡男(ちゃくなん・正室の生んだ男子)に恵まれなかったため、親子関係を結びます。鶴松が誕生すると その関係が解かれ、その際に秀吉から邸宅と土地を与えられて、八条宮家を興しています。造庭に優れた才能をみせました。

17世紀の中頃、後水尾天皇(ごみずのおてんのう)によって造営された「修学院離宮」(しゅうがくいんりきゅう)もまた、数寄屋造を代表する建築です。

修学院離宮 中尾茶屋・客殿の霞棚
Bigjap, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Shugakuin-Kiakuden-03-2G-2C.jpg
中尾茶屋・客殿の霞棚

市松模様の襖ですね。ここにも桃山時代とは違う、洗練された造形感覚が生まれていますね。

修学院離宮 浴竜池
Wiiii, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Shugakuin_Imperial_Villa.jpg
修学院離宮 浴竜池

【参考図書】
知る、わかる、みえる 美術検定3級問題[基本編 basic] 美術検定実行委員会編  株式会社美術出版社  2021
改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト 美術検定実行委員会編  株式会社美術出版社  2019
続 西洋・日本美術史の基本 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2018
増補新装 カラー版日本美術史 辻惟雄監修 株式会社美術出版社 2020
芸術教養シリーズ1 信仰、自然との関わりの中で 日本の芸術史 造形篇I 栗本徳子編  株式会社幻冬舎  2013
この絵、誰の絵? 100の名作で西洋・日本美術入門  佐藤晃子著  株式会社美術出版社  2019

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