3級 過去問/Q.165

BC3000-BC2000(縄文時代中期)
H32.5㎝ 新潟県長岡市馬高遺跡出土
長岡市立科学博物館(新潟) 重要文化財
紀元前1万5000年頃から紀元前300年頃におよぶ約1万数千年間が、縄文時代です。(時期については諸説あり)
紀元前1万年前には、食料を煮炊きする道具として、土器が作られるようになります。
土器の多くに縄目の文様がみられることから、この時代を縄文時代といいます。
他には貝殻や木の棒なども、文様を付ける道具として使われました。
「火焔型土器」は、縄文時代中頃のものと考えられています。
呪術的な不気味さがあって、火炎を思わせる上方へ立ちのぼるような造形です。
この頃は、装飾性が豊かな土器がつくられました。
3級 過去問/Q.166
「袈裟襷文銅鐸」(けさだすきもんどうたく)です。
袈裟襷文とは、文様が僧侶の袈裟に似ているところから付けられた名称です。
縦線と横線からなり、銅鐸の代表的な文様です。
縄文時代の後、西暦300年頃までが弥生時代です。
大陸から、稲作と共に青銅器がもたらされました。
青銅器には、銅鐸(どうたく)、銅鏡、銅剣などがあり、いずれも豊作を祈願する祭りや儀式に用いたと考えられています。
銅鐸はつり鐘のような形で、紀元前200年頃から、近畿・東海地方で作られ始めました。
表面には幾何学的な文様や、人、動物、狩猟、農耕の様子などが描かれています。

《絵画銅鉾》
BC100-100 兵庫出土
弥生土器は、とてもシンプルで実用的になりました。

100~300年頃
大田区久が原出土 重要文化財
3級 過去問/Q.167
《鳥飾りの蓋付き壺》
5世紀の中頃、朝鮮半島からの渡来工人によって「須恵器」の製法が伝えられました。
それまでの土器は、低温の野焼きだったため、あまり強度がありませんでした。
しかし「須恵器」は、窯を用いて、高温で焼成していたため硬質です。
すっきりとしたデザインのものが多いのも特徴です。
古墳の副葬品や、儀式用に使われたと考えられ、平安時代まで作られました。
3級 過去問/Q.168

《竹原古墳壁画》(後室奥壁) 6世紀後半(古墳時代後期)
H約150×幅約200㎝ 宮若市教育委員会(福岡) 国指定史跡
3世紀から8世紀初頭にかけて、巨大な古墳が各地で造られるようになりました。
古墳は、その地域の首長が、その力を民衆に示すために築いたもので、その主長の遺体とともに、人や動物、家や家具などをかたどった様々な埴輪や鏡、玉や剣などの副葬品が納められました。
大和政権が誕生した近畿地方には、多くの前方後円墳が造られています。
そして九州では、壁面に絵や文様が施された「装飾古墳」が造られました。
渦巻きや幾何学模様、狩猟の様子などを、赤や緑、黒といった顔料で絵を施しています。
5世紀後半に、九州の有明海沿岸で造られはじめ、初期はほとんどが九州北部に集中しています。
代表的なものが、上の画像の「竹原古墳」(福岡)で、横穴式石室の後室奥壁に描かれています。
図像についてはいくつかの解釈があるようですが、龍のいる水辺に馬を連れていき駿馬を得るという、中国の「龍媒伝説」からの影響が指摘されています。
外観や、中の様子がわかる動画がありますよ👇
もうひとつ、代表的な古墳が、熊本の「チブサン古墳」です。
円や三角形、菱形などの幾何学文が、強い色調で描かれています。
これらの装飾は、死者の魂を慰めたり、魔除けのために描かれたと考えられています。
【参考図書】
知る、わかる、みえる 美術検定3級問題[基本編 basic] 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2021
改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2019
続 西洋・日本美術史の基本 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2018
芸術教養シリーズ1 信仰、自然との関わりの中で 日本の芸術史 造形篇I 栗本徳子編 株式会社幻冬舎 2013