1884-86年 油彩・キャンヴァス
207.5x308㎝ シカゴ美術館(アメリカ)
ジョルジュ・スーラ(1859-1891)の作品ですね。
19世紀のパリの人々の行楽地のひとつ、セーヌ川の中州に浮かぶグランド・ジャット島で、余暇を楽しむ人々を描いています♪
1888年 撮影(29歳頃)
スーラは新印象主義の創始者的存在です!
印象主義の色彩理論を、科学的に発展させた絵画運動を新印象主義といいます。
この作品の画面は、小さなドット(点)の集合体です。
スーラは「点描画」という新技術を生み出しました。
色を徹底的に分析し、人間の脳の中で色が混ざるよう仕掛けを施しています。
パレットの上で絵具を混ぜずに、チューブから出した色をそのまま点で並べていき、離れて見たときに、色が混ざり合って見えるようにしています!
この作品の制作に2年かけています。
4級 過去問/Q.49
フィンセント・ファン・ゴッホ
《タンギー爺さん》
1887年頃 油彩・キャンヴァス
92×75㎝ ロダン美術館(パリ)
このタンギー爺さん、モンマルトルで画材店を営み、画材代金の代わりに絵を受け取ることで、貧しい画家を支援していました。
ゴッホもお世話になったその一人です。
ゴッホ 自画像 1855年
この絵の背景にあるのは、歌川広重や歌川国貞、渓斎英泉(けいさい えいせん)などの、実在した6点の浮世絵です。
作者不詳《東京名所 いり屋》
あと1点は未判明
当時のヨーロッパは、「ジャポニズム」と呼ばれる空前の日本ブーム!
絵画においても、浮世絵や工芸品がモチーフとして登場していました。
きっかけは日本の開国です。
欧米諸国と始まった貿易で、輸入品の包装紙として使われていた葛飾北斎の『北斎漫画』が話題となり、ブームの下地になります。
さらに日本のパリ万博への参加により、日本の文化や美術品への関心は、ますます高まっていきました。
ゴッホも、その大胆な構図の浮世絵に魅せられ、作品を集めて研究。
そのコレクションは400点もあったとか!
また、西洋絵画で人物を正面から描くというのは、宗教画で主に用いられる向きです。
おそらくゴッホは、とてもお世話になったタンギー爺さんを、聖人のように描こうとしたのだろうと考えられています。
4級 過去問/Q.50
①
②
③
④
ポール・ゴーガン《タヒチの女たち》
1891年 油彩・キャンヴァス
69×91.5㎝ オルセー美術館(パリ)
35歳で画家となったポール・ゴーガン(1848-1903)。
それまでは株の仲買人でした!
アルルでゴッホと共同生活をしますが、やがて西洋文明から離れた原始の世界を求めて、南太平洋のタヒチへ。そこで優れた作品を生み出しています。
1891年
この《タヒチの女たち》も、1891年にタヒチで描かれたもの。
平らな画面に、輪郭線と大きな色の面、紫、赤、緑などの鮮やかな色彩が特徴です。
西洋文化とは違う異文化を融合した独特のスタイルです。
他の作品も確認しておきます。
👆 次の問題で!
4級 過去問/Q.51
①《サント=ヴィクトワール山》
1887年頃 油彩・キャンヴァス 67×92㎝
コート―ルド・インスティテュード・ギャラリー(ロンドン)
ポール・セザンヌ(1839-1906)は、伝統的な遠近法や写実性から脱却した、ポスト印象派の画家です。
対象物を幾何学的に分解し、さまざまな角度から見て、再構築して描く方法を確立します。
故郷にある山を描いたという、この作品もよく見ると…
山のふもとが、単純化された形の組み合わせです!
この方法は、ピカソらのキュビスムへと展開し、さらに抽象絵画へと発展していくことになります。
つまりセザンヌ抜きにして、現代美術はありえないといわれ、それゆえ「現代美術の父」と呼ばれています!
ポスト印象派とは、印象派の終わりの方とか、その後を継ぐという意味ではなく、印象派の影響をうけつつも、それを超えようと、新しいスタイルを確立していった画家たちを指します!
セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホがその代表です♪
4級 過去問/Q.52
ロートレック《ムーラン・ルージュ》
1891年頃 リトグラフ
170x130㎝ トゥールーズ=ロートレック美術館他
アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック(1864-1901)は、フランスの画家。
1894年撮影(30歳頃)
この作品は「ムーラン・ルージュ」というモンマルトルのダンスホールの、宣伝ポスターとして制作したものです!
ロートレックが27歳の時の、はじめてのポスターであり、出世作となった作品です。
彼もまた浮世絵版画の愛好家でした!
大胆でシンプルな構図に、赤・黄・黒という限られた配色や、はっきりとした輪郭線も、その影響によるものです。
当時、カラー印刷のポスターが普及し始めた頃でしたが、ロートレックの、その絵画性の強さが人気となりました。
ポスターと芸術とを、初めて結びつけたのがロートレックです。
「ムーラン」とは、風車のこと。
「ルージュ」は、赤ですね。
つまり「赤い風車」!
1900年
観客の楽しみは、毎晩10時に始まる「カンカン踊り」でした。
1889年に開店して以来、現在も営業中のキャバレーです。
2008年
ルノワールの作品に《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》がありましたが、「ギャレットの風車」という名のダンスホール。別の風車ですよ。
4級 過去問/Q.53
《出現》
1875年頃 油彩・キャンヴァス
142×103㎝ ギュスターヴ・モロー美術館(パリ)
ギュスターヴ・モロー(1826-1898)は、19世紀末フランスの画家。
「目に見えないものしか信じない」として、感情や精神を象徴的に描く「象徴主義」の先駆者です。(象徴主義は印象派と並行して進展)
聖書や神話を題材に、抽象的な概念や、魅惑的で邪悪な女性像を描きました。
自画像 1850年
当時、美しさで男を破滅へと導く悪女「ファム・ファタル(運命の女)」が、西洋の絵画や小説の題材として人気がありました。
この作品は新約聖書で、父であるヘロデ王の誕生日に、踊りを披露した褒美として、洗礼者ヨハネの首を望んだ王女サロメ…… この話をベースに描かれています。
この頃フランスでは、首を切り落とす「ギロチン」が普及しつつあったようで、 生首が登場する絵を残しているのは、その影響ではないかと考えられています。
モローは、マティスやルオーの先生でもありました。
4級 過去問/Q.54
1893年 油彩・テンペラ・パステル・厚紙
91.7x73.5㎝ オスロ国立美術館
エドヴァルド・ムンク(1863-1944)は、19世紀末のノルウェーの画家。
早くに身内を次々と失ったムンク。
不幸な体験が影をおとし、孤独や不安をテーマに作品を描き続けました。
暗い色調とうねるようなタッチが特徴です。
1894年撮影
耳をふさいでいるのは(叫んではいません)ムンク自身。
日没前に赤く染まった雲を見て「自然を貫く果てしない叫び」を恐れ、それを聞くまいと耳をふさいでいます。
この《叫び》は「生命のフリーズ」という連作のひとつです。
大胆な色彩とデフォルメされた形態、人の激しい感情や内面を、ストレートに強調した芸術運動を「表現主義」といいますが、ムンクはその生みの親と言われています。
負の感情に着目した点が独特です。
他の答えの作品も確認を!
ムンクと同時期に活躍したドイツの画家で、死の静寂を漂わせる作品を描いています。
1900年
ギリシア生まれのイタリア人画家。
シュルレアリスムの先駆者として、大きな影響を与えました。
この作品の画像を探せませんでした。夜の宮殿を裸の女性が歩いている絵です。
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デ・キリコとデルヴォーは、共に20世紀の画家で、日常とは違う奇妙な風景を描いています。
【参考図書】
知る、わかる、みえる 美術検定4級問題[入門編 introduction] 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社
改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2019
続 西洋・日本美術史の基本 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2018
増補新装 カラー版 西洋美術史 高階秀爾監修 株式会社美術出版社 2021
この絵、誰の絵? 100の名作で西洋・日本美術入門 佐藤晃子著 株式会社美術出版社 2019
芸術教養シリーズ6 盛期ルネサンスから十九世紀末まで 西洋の芸術史 造形篇II 水野千依編 株式会社幻冬舎 2013