江戸時代 絹本著色
63x31.2㎝ 東京国立博物館
菱川師宣(ひしかわもろのぶ)は、江戸時代の浮世絵師。
師宣自画像(『鹿野武左衛門口伝咄』より)
それまで絵入本の挿絵でしかなかった浮世絵版画を、鑑賞する絵画作品へと高めました!
この《見返り美人図》は肉筆画。
戦後の記念切手の第一号として、5円切手の図柄となり有名となった作品です。
歩みの途中で
ふと足を止めて振り返る…
紅色に菊と桜の刺繍の着物…
当時流行の「吉弥結び(きちやむすび)」という帯の結び方です。印象的ですね。
師宣は 井原西鶴の処女作『好色一代男』の挿絵でも知られ、生涯において100種以上の絵本や、50種以上の好色本に筆をとっています。
他の答えの作家、歌川広重 喜多川歌麿 葛飾北斎 については、今後の問題の時に!
4級 過去問/Q.81
《南天雄鶏図》(動植綵絵)
1757-66年頃 絹本著色 金 全30幅
各141.8~141.9×79~79.8㎝ 宮内庁三の丸尚蔵館
1757-66年頃 絹本著色 金 全30幅
各141.8~141.9×79~79.8㎝ 宮内庁三の丸尚蔵館
伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)は、江戸時代中期に活躍した絵師。
「奇想の画家」と言われます。
この作品は動植綵絵(どうしょくさいえ)のひとつ《南天雄鶏図》(なんてんゆうけいず)です。
赤い実のなる南天を背に、威容を誇る黒い軍鶏!
若冲居士像 相国寺蔵
京都の青物問屋の主人だった若冲!
画業に専念するために、弟にその立場を譲ったのが40歳のとき。
その後10年近くをかけて《動植綵絵》を描き、京都の相国寺(しょうこくじ)に寄進します。
後に皇室に納められることにより、困窮の相国寺を救いました。
後に皇室に納められることにより、困窮の相国寺を救いました。
書画や掛け軸などを数えるときは、幅(ふく)をつかいます。
1幅(いっぷく) 2幅(にふく)と読みます♪
絹本著色(けんぽんちゃくしょく)は絹に描かれたもので、
紙に描かれたものが紙本著色(しほんちゃくしょく)です。
紙に描かれたものが紙本著色(しほんちゃくしょく)です。
著色(ちゃくしょく)は着色とも書かれます。
他の答えの作家もざっくりと!
江戸時代の絵師
円山応挙の弟子
円山応挙の弟子
大胆な構図に斬新なクローズアップ
伊藤若冲と並ぶ「奇想の画家」の一人
《虎図》 錦江山無量寺障壁画(和歌山) 重要文化財
江戸時代中期の水墨画の絵師
強烈な画風で「奇想の画家」のもう一人
《蝦蟇・鉄拐仙人図》 メトロポリタン美術館
江戸時代中期~後期の絵師
円山派の祖
写生を重視した親しみやすい画風
こちらはまた今後の問題の時に♪
4級 過去問/Q.82
こちらで作品の確認を👇
《達磨図》(だるまず)
江戸時代 紙本着色 119x112㎝ 萬壽寺(大分)
臨済宗の禅僧である白隠慧鶴(はくいん えかく)の禅画です。
自画像 1767年
白隠は禅修行で諸国を行脚して、32歳で故郷の駿河国原宿(現 静岡県沼津市)に帰ります。
84歳で亡くなるまで、松陰寺(しょういんじ)の住職を務めました。
84歳で亡くなるまで、松陰寺(しょういんじ)の住職を務めました。
残っている書画の多くは60歳以降のもの!
禅の教えを広める手段として、絵を数多く描きました。
「達磨」(だるま)は、禅宗の開祖である「菩提達磨」(ぼだいだるま)のこと。
壁に向かって9年の座禅を続けたことで、手足が腐ったという伝説にちなみ…手足のないだるまが作られるようになりました。
他の答えの作家は、
江戸時代後期の禅僧、画家
白隠が60歳の半ば頃に生れています
博多聖福寺(しょうふくじ)を拠点に活躍
禅味あふれる絵画で知られます
《○△□》 出光美術館
中原鄧州(なかはらとうしゅう)のこと
明治から大正にかけて活動した臨済宗の僧侶
《南天棒を象った鄧州の所》
カウンティ美術館(ロサンゼルス)
江戸時代中期~後期にかけて活躍した画僧
浄土宗の僧となり、10代で江戸増上寺で月僊の号を与えられます
円山応挙や蕪村の影響を受けながら独自の画風を確立
山水・人物を得意とします
スポンサーリンク
4級 過去問/Q.83
18世紀後半 紙本墨画淡彩
北村美術館(京都) 重要文化財
与謝蕪村(よさぶそん)は、松尾芭蕉・小林一茶と並んで称される、江戸時代中期の俳人・画家。
与謝蕪村(呉春作)
絵画はほぼ独学で、中国のさまざまな画風や日本の伝統を学ぶなどして、独自の世界を創り上げています!
《鳶鴉図》(とびからすず)は、厳しい自然の中にたたずむ一羽の鳶(とび)と、寄り添う二羽の鴉(からす)の姿です。
4級 過去問/Q.84
長沢芦雪 《虎図》
1786年 紙本墨画 全6面のうちの2面
1786年 紙本墨画 全6面のうちの2面
無量寺・串本応挙芦雪館(和歌山) 重要文化財
長沢芦雪(ながさわろせつ)は、円山応挙(まるやまおうきょ)に学びました。
応挙に倣った穏やかな画風の一方、大胆で奇想に富んだ作品を展開した「奇想の絵師」です。
応挙に倣った穏やかな画風の一方、大胆で奇想に富んだ作品を展開した「奇想の絵師」です。
この「虎」の向いには、対峙するように「龍」の襖絵があります。
そして「虎」の裏側には、この虎と同じ姿勢をした「猫」が水中の魚を狙っている様子が描かれています。
大きな「虎」はまさに、「水中の魚目線で見た猫の姿」だとも言われています。
そして「虎」の裏側には、この虎と同じ姿勢をした「猫」が水中の魚を狙っている様子が描かれています。
大きな「虎」はまさに、「水中の魚目線で見た猫の姿」だとも言われています。
当時まだ日本に虎はいませんでした。
中国画や毛皮、猫を参考に描いたそう!
中国画や毛皮、猫を参考に描いたそう!
師と仰いだ円山応挙(まるやまおうきょ)
円山応挙肖像
『近世名家肖像』より
日本の画家のなかでも際立って「写生」を重視した画家です。
20代の修行期には、京都で「眼鏡絵」の制作に携わります。
「眼鏡絵」とは、西洋の遠近法を応用して描いたもので、これを「覗き眼鏡」という凸レンズ嵌めた箱を通して見ると、立体的にみえるというもの。
その経験や技術をベースに描く、装飾性豊かで親しみやすい作品は、大衆に絶大な人気でした。
応挙は「円山四条派」の祖とされます。
応挙は「円山四条派」の祖とされます。
《雪松図屏風》左隻
三井記念美術館(東京) 国宝
右隻
美しいですね~
無量寺のサイトでは、精密なデジタル再製画で、芦雪や応挙の作品を含む襖絵・壁画55面を詳しく見ることができます!すばらしいですよ 👇
【参考図書】
知る、わかる、みえる 美術検定4級問題[入門編 introduction] 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社
改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2019
続 西洋・日本美術史の基本 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2018
増補新装 カラー版日本美術史 辻惟雄監修 株式会社美術出版社 2020
この絵、誰の絵? 100の名作で西洋・日本美術入門 佐藤晃子著 株式会社美術出版社 2019