影響を与えなかったのは、タルボットですが、
その前に、アーツ・アンド・クラフツ運動を主導したモリスから!
詩人であり思想家でありデザイナー。
「モダンデザインの父」と言われます。
壁紙や家具などの、植物文様のデザインは有名ですね。
アーツ・アンド・クラフツ運動は、19世紀の産業革命真っただ中のイギリスで、機械による安易な大量生産に異議を唱え、手仕事による「ものづくり」の見直しを提唱した動きです。
この運動によって、新たな装飾芸術の世界が広がりました。
《Daisy Design》1864年
《青いフルーツ》もしくは《ザクロ》1865-66年
《アカンサス》1875年
この「アカンサスの葉」って、
コリント式の柱頭のモチーフでしたね!
この運動からの影響を受けたのが、ピュージンとラスキンです。
ビッグ・ベン(時計台)の設計や、教会建築を多く手掛けた、ゴシックリバイバルを代表する建築家。
ミレイによる《ジョン・ラスキン》
1853-54年 油彩・キャンヴァス
79×68㎝ アシュモレアン博物館(イギリス)
ヴィクトリア時代を代表する美術評論家で、社会思想家で、芸術家のパトロン。
モリスが師と仰いだ人物です。
そしてこの運動に直接影響がなかったのが、タルボットです。
1840年ころにカロタイプと呼ばれるネガ・ポジ法による写真技法を発明!
複製を可能にし、写真を飛躍的に発展させた人物です。
3級 過去問/Q.107
《クライマックス》
オスカー・ワイルド『サロメ』の挿絵
1894年
アイルランド出身の詩人・劇作家です。
戯曲『サロメ』は、1891年に書かれたもので、1894年出版の英語版において、ビアズリーの挿絵が使用されています。
アール・ヌーヴォーを代表する作家です。
19世末のヨーロッパの挿絵のにおいて、とても重要な作家です。
まだ黒一色刷りだったこの時代、繊細な曲線と大胆な黒面の使い方で、その効果を最大限に引き出しました。
ビアズリーのこの形式と、『サロメ』についてのセンセーショナルな解釈は、ヨーロッパの象徴主義の画家たちに、大きな影響を与えています。
オスカー・ワイルド『サロメ』の挿絵
1894年
オスカー・ワイルド『サロメ』の挿絵
1894年
トマス・マロリー『アーサー王の死』の挿絵
1894年
エドガー・アラン・ポー 『黒猫』の挿絵
アール・ヌーヴォーは「新しい芸術」を意味します。
19世紀の世紀末、フランスを中心に広まった装飾美術で、モリスによるアーツ・アンド・クラフツ運動が発祥です。
滑らかな曲線に有機的なフォルムや、ジャポニスムの影響などが特徴です。
特に家具や調度品、本の装丁やグラフィック作品などが、大きな影響を受けました。
現代のグラフィックアートの原点でもあります。
それにしても、見事な「線」ですね!
3級 過去問/Q.108
《ディヴァン・ジャポネ》
1892年 リトグラフ
81×62㎝ トゥールーズ=ロートレック美術館(アルビ/フランス)
ロートレック(1864-1901)ですね!
ポスターを、初めて芸術と結びつけました。
モンマルトルのキャバレーの常連となって、娼婦や踊り子の姿を描きます。
浮世絵の研究などによる大胆な構図は、高い評価を受け、ポスター画家として人気を集めました。
《ムーラン・ルージュ》
1891年 リトグラフ
191×117㎝ トゥールーズ=ロートレック美術館(アルビ/フランス)
《ムーラン・ルージュ》は、パリの有名キャバレーのためにつくられた宣伝用ポスターで、ロートレックの出世作です。
もう少し詳しくはこちらを👇
3級 過去問/Q.109
アール・ヌーヴォーを代表する、フランスのガラス工芸家です。
1878年のパリ万博で受賞すると、それ以降の万博でも様々な賞を受賞し、名声を確立します。
ジャポニスムの影響も大きかったようです。
芸術性の高いガラス作品です。
1884-89年
アムステルダム国立美術館
1900年
ディジョン美術館(フランス)
1901年
ナンシー派美術館(フランス)
植物や生き物のモチーフが、冷たいはずのガラスに、温かみと親しみやすさを与えています。美しいですね。
3級 過去問/Q.111
《自画像》
1917年 油彩・キャンヴァス
79×62㎝ フォン・デア・ハイト美術館(ヴッパタール)
ココシュカは、クリムトやシーレと並ぶオーストリアを代表する画家。
ウィーン工芸学校で学んで、ウィーン分離派の影響を受けて作家となりました。
荒々しく不安を描きたてるような作風です。
ココシュカのその他の作品はこちらを👇
ウィーン分離派は、1897年にクリムトを中心に結成。
美術界の保守的な体制に反対したグループで、新しい造形表現を追求しました。
装飾的な表現が特徴です。
《接吻》
1908-09年 油彩・キャンヴァス
180×180㎝ オーストリア・ギャラリー(ウィーン)
作品についてはこちらも👇
ウィーン分離派には、画家や彫刻家の他に、建築家も加わり、1898年分離派館が完成します。
設計は、メンバーでオーストリアの建築家オルブルヒ。
近代建築を思わせるシンプルさに、金色の植物装飾や月桂樹のドームです。
もう一人、オーストリアの画家、
エゴン・シーレ(1890-1918)
《自画像》
1912年 油彩・キャンヴァス
32×40㎝ レオポルド美術館(ウィーン)
ココシュカと共に、ウィーン分離派の影響を受けながらも、独自の絵画を追求しました。
【参考図書】
知る、わかる、みえる 美術検定3級問題[基本編 basic] 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2021
改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2019
この絵、誰の絵? 100の名作で西洋・日本美術入門 佐藤晃子著 株式会社美術出版社 2019
ルネサンスから十九世紀末まで 西洋の芸術史 造形篇II 水野千依編 株式会社幻冬舎 2013