https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rom,_Domitilla-Katakomben_2.jpg
ドミティラ(ローマ)のカタコンベ
カタコンベは、キリスト教徒が死者の埋葬のために、地中に張り巡らした地下墓所のこと。
2世紀末から4世紀後半にかけて、地中海沿岸のほぼ全域に造られました。
重要なものはローマ周辺に集中しています。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Catacombe.jpg
サン カリスト(ローマ)のカタコンベ
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Catacombe_san_Gennaro,_tomba_del_Santo.jpg
サン・ジェンナーロ(ナポリ)のカタコンベ
信者たちは死後の魂の救済を願い、天井や壁の漆喰の上に絵を描きました。
フレスコ画ですね。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rom,_Domitilla-Katakomben,_Fresko_%22Christus_und_die_12_Apostel%22_und_Christussymbol_%22Chi_Rho%22_1.jpg
《イエスと十二使徒》
ドミティラのカタコンベ
3級 過去問/Q.11
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sanvitale03.jpg
《ユスティニアヌス帝と廷臣たち》(聖堂内陣側壁)
547-548年 モザイク
サン・ヴィターレ聖堂(ラヴェンナ)
イタリアのラヴェンナは、6世紀以降ビザンティン帝国によるイタリア統治の拠点となった都市です。
モザイクの壁画に表現されているユスティニアヌス帝は、6世紀に帝国の領土を最大に広げた皇帝!
そしてこのモザイク画があるサン・ヴィターレ聖堂は、ビザンティン建築の代表的な聖堂です。
そしてこのモザイク画があるサン・ヴィターレ聖堂は、ビザンティン建築の代表的な聖堂です。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mosaic_of_Justinianus_I_-_Basilica_San_Vitale_(Ravenna).jpg
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Basilica_of_San_Vitale.jpg
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:San_vitale,_ravenna,_int._01.JPG
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Emilia_Ravenna5_tango7174.jpg
ビザンティンの美術は、初期キリスト教美術を母体に、ギリシアのヘレニズム美術や、メソポタミアのササン朝ペルシア美術の影響を受けています。
精神的、霊的なものを求め、重々しい立派な様式と鮮やかな色彩、ぜいたくな装飾性が特徴です。
こちらもビザンティン建築として有名な
アヤ(ハギア)・ソフィア大聖堂
建築においては、大ドームとモザイク壁画が特徴です。
3級 過去問/Q.12
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%22The_good_Shepherd%22_mosaic_-_Mausoleum_of_Galla_Placidia.jpg
《善き牧者》
440年頃 ガッラ・プラチディア廟堂(ラヴェンナ)
440年頃 ガッラ・プラチディア廟堂(ラヴェンナ)
初期キリスト教の教会堂のドームや壁面は、しばしば豪華なモザイクで装飾されています。
この中央の 青年は「キリスト」、羊は「信者」を意味します。
これは『新約聖書』で、イエスが「私は善き羊飼いである」と語ったことによります。
《 善き牧者(善き羊飼い)》
300年頃 ヴァティカン美術館
300年頃 ヴァティカン美術館
人や全体を美しく描こうとするのではなく、キリストの教えが重要視されました。
そしてこの時代、モザイクに描かれた人物は、背が高く目が大きめです。
一つ前の問題に出てきたサン・ヴィターレ聖堂のユスティニアヌス帝王のモザイクなど、その特徴がよくわかりますね。
堂々とした姿は、精神的な強さと、人間の理想像を示しています。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mosaic_of_Justinianus_I_-_Basilica_San_Vitale_(Ravenna).jpg
光の反射で、透明感のある輝くばかりの美しい壁面が創り出されました。
キリスト教は「キリスト」が絶対の神で、ローマ皇帝をも認めないというきまりがあったため、帝国から迫害を受けていました。313年に正式に認められますが、それまではひっそりと、でも確実に根をおろしていきました。
弾圧を避けて地下にカタコンベを造り、その壁や天井にキリストモチーフの絵を描いて、死後の魂の救済を願ったんですね。
弾圧を避けて地下にカタコンベを造り、その壁や天井にキリストモチーフの絵を描いて、死後の魂の救済を願ったんですね。
《善き羊飼い》ウェラティオの墓室天井装飾
3世紀後半 プリシッラのカタコンペ(ローマ)
3世紀後半 プリシッラのカタコンペ(ローマ)
スポンサーリンク
3級 過去問/Q.13
《ウラディミールの聖母》
12世紀初め テンペラ・板
トレチャコフ美術館(モスクワ)
12世紀初め テンペラ・板
トレチャコフ美術館(モスクワ)
キリストや聖人の像を描いた礼拝用の聖像画を「イコン」といいます。
イコノクラスムとは、そのイコンを破壊する運動のこと。ギリシア語で「肖像」を意味する「エイコン」と「破壊」を意味する「クラオー」に由来します。
イコノクラスムとは、そのイコンを破壊する運動のこと。ギリシア語で「肖像」を意味する「エイコン」と「破壊」を意味する「クラオー」に由来します。
キリスト教では偶像崇拝を否定しており、聖像を認めるかどうかの論争は当初からあったようです。しかし7世紀にイスラム教が興ると、イスラム教では徹底して偶像崇拝を否定していたこともあり、その影響を受けて「聖像崇拝論争」が起こります。
そこでイコン崇敬の行き過ぎを憂いていた東ローマ皇帝レオ3世が、聖像禁止令を出してイコノクラスムが興ります。イコンの撤去を命じたんですね…
そこでイコン崇敬の行き過ぎを憂いていた東ローマ皇帝レオ3世が、聖像禁止令を出してイコノクラスムが興ります。イコンの撤去を命じたんですね…
レオ3世の息子コンスタンティノス5世は、反対するものを容赦なく弾圧、処刑したそうです。
3級 過去問/Q.14
アンドレイ・ルブリョフ《聖三位一体》
1425-27年 テンペラ・板
141.5×114㎝ トレチャコフ美術館(モスクワ)
1425-27年 テンペラ・板
141.5×114㎝ トレチャコフ美術館(モスクワ)
イコンはビザンティン帝国において、盛んに制作されました。
Q.13のように、イコノクラスム(聖像破壊運動)が起こりますが、最終的には843年にイコンの正統性が再認識され、再びイコン表現が活発になりました。
【参考図書】
知る、わかる、みえる 美術検定3級問題[基本編 basic] 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2021
改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2019
増補新装 カラー版 西洋美術史 高階秀爾監修 株式会社美術出版社 2021
芸術教養シリーズ5 古代から初期ルネサンスまで 西洋の芸術史 造形篇I 水野千依編 株式会社幻冬舎 2013


