下図ポスターはこちらで確認を👇
亀倉雄策(かめくら ゆうさく/1915-97)は、新潟生まれで、戦後の日本を代表するグラフィック・デザイナー。
デザインした上のポスターは、オリンピック史上初の写真を使用した公式ポスターです。
過去のポスターは、どれも開催地や古代オリンピックをイメージしたイラストで構成されたものばかりです。
スポーツのダイナミックさをリアルに写真で構成したポスターに、デザイン界は衝撃をうけたそう。一般市民にも、ぼんやりとしていたオリンピックが、現実のものとして迫るポスターとなりました。
ポスターと合わせ、こちらのシンボルマークも制作しています。
今見ても、シンプルでステキなデザインですね。
👇こちらのサイトで、デザイン決定の流れがわかります。
他、亀倉雄策の代表デザイン👇
知っているロゴばかりですね!
1964年のオリンピックでは、聖火リレー用トーチのデザインを柳宗理、参加メダルのデザインを岡本太郎が担当しています。
3級 過去問/Q.271
下図はこちらのサイトで確認できます👇
《劇団状況劇場「ジョン・シルバー 新宿恋しや夜鳴き篇」》ポスター
1967年 シルクスクリーン
国立国際美術館(大阪)
横尾忠則(よこお ただのり/1936-)は、兵庫県西脇市出身。神戸新聞社でグラフィックデザイナーとして活躍します。
1960~70年代にかけて、唐十郎の状況劇場や寺山修司の天井桟敷、土方巽の暗黒舞踏などの、反モダニズム色の強いアングラ・ポスターを多数手掛けます。
コラージュをもとにした、鮮烈なグラフィック・デザインが特徴です。
「アングラ」とは、アンダーグラウンドの略で、「地下に潜った」「反体制の」という意味です。
美術館ではなく、ゲリラ的にパフォーマンスをする集団や、公園でテントを張って芝居をする劇団など、あるべき場所から外れた表現者たちを「アングラ」と呼びました。
《バラ色ダンス A LA MAISON DE M. CIVECAWA》
1966年
1980年、ニューヨーク近代美術館での「ピカソ展」に衝撃を受けて「画家宣言」します。それ以来、美術家として具象的な様々な作品を制作するようになりました。
文筆家としての一面もあり、多くの著作があります。
その他の作品はこちらを👇
3級 過去問/Q.272
神奈川県立近代美術館(鎌倉間)
坂倉準三(さかくら じゅんぞう/1901-69)
ル・コルビュジエに師事。
神奈川県立近代美術館 旧鎌倉は、鶴岡八幡宮境内の庭園と一体に展開する、日本のモダニズム建築の代表例です。
老朽化と土地の貸借契約満了で、2016年に閉館となりましたが、2019年「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」として、リニューアルオープンしました。
👇公式サイト
他、坂倉準三の代表作は、1937(昭和12)年のパリ万博日本館の設計(建設部門ブランプリ受賞)や、芦屋市民センタ―、新宿駅西口広場、大阪万博の電力館、ホテルパシフィック東京などなど。
他の答えも皆、戦後の日本を代表する建築家です。
他、大阪万博や横浜美術館、フジテレビや都庁など、海外にもたくさん。
大阪万博東芝IHI館 1970年
他、国立新美術館や豊田スタジアム、ゴッホ美術館別館など、国内外にたくさん。
北九州市立美術館 1974年
東京造形大学 1993年
京都コンサートホール 1995年
他にも、安藤忠雄や谷口吉生がいます。
戦後の急速な建築の進化がすごいですね。
3級 過去問/Q.273
万博とは絡まない谷口吉郎については最後に!
1970年に開催された「日本万国博覧会(大阪万博)」は、日本で開催された初めての万博です。「人類の進歩と調和」をテーマに、77ヵ国 4国際団体が参加しました。総入場者数は約6600万人です。
この会場の総合設計を行ったのが、丹下健三。ひとつ前の問題で出てきましたね。
👇こちらで会場のマスタープランを確認できます。
丹下の「大屋根」を突き抜けて、《太陽の塔》を立たせる岡本のプランは、当初丹下と激しく対立したようです。
「太陽の塔」についてはこちらを👇
菊竹の他の代表作は、島根県立美術館、銀座テアトルビル(ホテル西洋銀座)、江戸東京博物館、など多数。
三井グループ館はこちらを👇
山口勝弘は、少し前に出てきましたね。ビデオメディアを使った前衛芸術家です。(3級 Q.259)
そして、
谷口は金沢出身の建築家で、代表作は、東宮御所や帝国劇場、東京国立博物館東洋館や、東京国立近代美術館、原敬記念館など、こちらも多数。
建築の理念は「清らかな意匠」。
博物館明治村(愛知県)の初代館長でもありました。
3級 過去問/Q.274
土門拳(どもん けん/1909-90)は、戦後の日本を代表する写真家の1人。徹底してリアリズムにこだわりました。
第二次世界大戦前から、日本工房などで宣伝グラフ誌のための報道写真を撮影します。
戦後はライフワークである『室生寺』の写真集を出版。
広島の現状を1冊にまとめた写真集『ヒロシマ』も出版しています。
「カメラは道具にすぎず、写真を撮るのは人間であり、思想である。」 そうとらえて、自分の個性を重視しました。
数々の写真賞を受賞しています。
11代目 市川團十郎 1951年
「写真」は、明治末頃までは、対象を忠実に再現する視覚の技術とし重宝がられました。
大正に入ると、戦争や地震など事件の記録としての、ドキュメンタリー写真が登場します。
昭和には芸術写真を目指す動きが現れ、戦後は経済成長に合わせて、商業写真が発展します。
一方で、それまで注目されることのなかった、人々の生きるリアルな姿を追う写真家も登場しました。土門拳はその代表ですね。
【参考図書】
知る、わかる、みえる 美術検定3級問題[基本編 basic] 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2021
改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2019
続 西洋・日本美術史の基本 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2018
増補新装 カラー版日本美術史 辻惟雄監修 株式会社美術出版社 2020
この絵、誰の絵? 100の名作で西洋・日本美術入門 佐藤晃子著 株式会社美術出版社 2019