ローマの美術

Bert Kaufmann from Roermond, Netherlands, CC BY-SA 2.0 , https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Colosseum_Colosseo_Coliseum_(8082864097).jpg

ローマの美術

紀元前8世紀末頃から、イタリア中部一帯では、エトルリア人がギリシア美術の影響を受けながら、独自の美術を育んでいました。

紀元前6世紀、都市国家ローマが、エトルリア系の王を退けて一帯を制圧。領土をどんどん拡大していきます。紀元前2世紀には、北アフリカのカルタゴとギリシアのコリントスを陥落。それ以降、戦利品として大量の美術品が入ってくるようになります。

ローマ人は美しいギリシアの美術品に魅了されます。大きな影響を受けながら、その理想美を引き継ぎ、ローマの美術は発展します。

年代 王政期 エトルリア美術(紀元前8世紀~紀元前6紀頃)
   共和制期を経て、帝政期にローマ美術が発展します。
   ローマ美術は大きく3つの時代に分けられます。
      帝政初期(紀元前1世紀半ば~1世紀末頃)
      帝政中期(~4世紀初頃)
      帝政末期(~6世紀頃)

 地域 地中海域

キーワード ギリシアの理想美・モニュメンタルな建築・肖像彫刻・戦勝記念碑・浮彫

紀元前8世紀中頃から紀元前6世紀末までは、エトルリア人がローマを支配していました。東方やギリシアとの交易によって、エトルリア文化が開花。独自の死者祭礼や先祖崇拝の儀式など、豊かな葬祭美術が発展しています。

大理石などのいい石が取れなかったエトルリアでは、それ以外の石や、テラコッタ塑像(粘土類を形成して焼成)や、ブロンズ製の彫像が作られました。

特徴 葬祭美術・墓地遺跡・墓室壁画・テラコッタ像

夫婦の陶棺

Tangopaso, Public domain, via Wikimedia Commons

紀元前520年頃 ローマ北西部チェルヴェテッリ出土

ヴィラ・ジュリア国立エトルリア博物館(ローマ)

エトルリア人は、大型の墳墓を持つネクロポリス(死の街)を造りました。
墳墓内の壁画には生前と同じ様子が描かれ、棺の蓋には埋葬者の穏やかな全身肖像が装飾されています。

長椅子に横たわる夫婦が楽しそうに宴に加わっている様子で、夫婦そろっての様子はエトルリア固有のもの。(ギリシアでは妻が宴に参加することはなかったといわれています。)

Louvre Museum, CC BY-SA 3.0 , https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Paris_-_Louvre_-_Sarcophage.jpg

ヒョウの墓

AlMare, Public domain, via Wikimedia Commons

紀元前480/470年頃

フレスコ画

埋葬室の中の壁面に、宴の様子が生き生きと描かれています。
ワインを飲む3組の夫婦と使用人。ダンサーにミュージシャン。上部に2匹のヒョウが描かれています。

 

モンテロッツィ墓地(イタリア)

Sailko, CC BY 3.0 , https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Tomba_dei_leopardi,_470_ac_ca._09.jpg
Sailko, CC BY 3.0 , https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Tomba_dei_leopardi,_470_ac_ca._02.jpg

ブルータス

Public domain, via Wikimedia Commons

ローマ末期の政治家で軍人

肖像彫刻

カピトリーノ美術館

帝政初期

紀元前1世紀末、帝政期に入ると、皇帝の事績を記録する壁画や浮き彫り、彫像など、写実性の強いものがつくられます。
建築においては、アーチ工法によって巨大な建造物が多く建てられるようになりました。

特徴 エトルリア美術とギリシア美術の模倣・継承・綿密な室内装飾画

プリマ・ポルタのアウグストゥス

Vatican Museums, Public domain, via Wikimedia Commons
Rabax63, CC BY-SA 4.0 , https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Augustus_Primaporta_Paludamentum.jpg

14-29年頃
1863年 プリマポルタのリウィアのヴィラ後から発見

大理石

ヴァティカン美術館

秩序と安定を重んじた初代皇帝アウグストゥス

アウグストゥスとは「荘厳なる者」という意味。

足元には女神ウェヌスの子であるアモル。神々の子孫であることを示しています。

ギリシア・クラシック期のポリュクレイトスの『槍を担ぐ人』に倣ってつくられています。理想的な人体表現に、個人の特徴を加えた彫像が発展します。

ポリュクレイトス『槍を担ぐ人』紀元前440年頃の青銅原作による大理石摸刻 国立考古学博物館(ナポリ) After Polykleitos, CC BY 2.5 , https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b5/Doryphoros_MAN_Napoli_Inv6011-2.jpg

ディオニュソスの秘儀

MatthiasKabel, CC BY-SA 3.0 , https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Villa_Misteri_fresco_mystery_ritual.jpg

紀元前70~50年頃 ポンペイ

第二様式
壁の凹凸をなくした平らな壁に、遠近感や立体感をつけて全面的に描いています。

original files by WolfgangRieger, Public domain, via Wikimedia Commons

ポンペイは79年にヴェスヴィオ山の噴火で、火山灰と泥流に埋もれた都市遺跡

この壁画は1748年からの発掘調査によって明らかになったもの。中でも保存状態がよい壁画です。

豊穣の神ディオニュソス信仰への入信秘儀を描いたものと推測されています。

帝政中期

コロッセウム(コロッセオ)

FeaturedPics, CC BY-SA 4.0 , https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Colosseo_2020.jpg

80年頃の古代ローマ帝国最大の円形闘技場

ネロ帝後に即位した、ウェスパシアヌス帝(在位69~79年)が建設。

外輪の長軸188メートル、短軸156メートルの楕円形
外壁の高さ約50メートル、約5万人を収容した4階建て

ローマ人の才能は、建築・土木技術の分野で最もよく発揮されました。

Paolo Costa Baldi, CC BY-SA 3.0 , https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Colosseo_di_Roma_panoramic.jpg
Kikkotm, CC BY 3.0 , https://commons.wikimedia.org/wiki/File:ColosseoKikko.JPG

アーチを連ねた4層の壁体で、アーチを支える円柱は各層で違う様式となっています。
 1F ドーリア式/一番古くシンプルで太い柱
 2F イオニア式/細く優美で渦巻き型の装飾
 3F コリント式/さらに細く、アカンサスの葉をモチーフにした装飾(アカンサスはギリシアの国花) 

アカンサスの葉 Liné1, CC BY-SA 3.0 , https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Acanthus_mollis_02_by_Line1.JPG?uselang=ja
アカンサス Karelj, CC BY-SA 3.0 , https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Acanthus_mollis_Prague_2013_1.jpg?uselang=ja

トラヤヌス帝の記念柱

Szilas, Public domain, via Wikimedia Commons
Attributed to Apollodorus of Damascus, Public domain, via Wikimedia Commons

トラヤヌスは、ネルウァ=アントニヌス朝の第2代皇帝(在位98-117年)で、公共施設の強化と領土の拡大に成功した皇帝です。

勝利した戦争の様子が、らせん状に描かれており、登場人物は2500人以上。
浮き彫りの全長は200メートル近くにもなります。


皇帝の政治の素晴らしさを讃えるための、歴史浮彫が盛んになりました。

戦争を記録したものが多く、重要な人物は大きく扱われています。

107~113年頃

トラヤヌス広場(ローマ)

皇帝を称えるための戦勝記念碑

高さ 約30メートル

18個の大理石の円筒形ブロックの積み重ね

柱には小さな採光窓があり、内部には螺旋階段も。

出典https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Relief_Kolumna_Trajana.jpg
Attributed to Apollodorus of Damascus, Public domain, via Wikimedia Commons
トラヤヌス胸像 Glyptothek, Public domain, via Wikimedia Commons

帝政末期

コンスタンティヌスの凱旋門

Karelj, Public domain, via Wikimedia Commons

315年奉献 ローマ

312年のミルウィウス橋の戦いでの勝利を記念して奉献された凱旋門。
帝国の黄金期を築いたトラヤヌス、ハドリアヌス、マルクス・アウレリウスの三皇帝の記念物からはぎ取った浮彫がはめ込まれています。

Augurar (talk · contribs), CC BY-SA 2.5 , https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Constantine_arch_datation_pt.svg
I, Sailko, CC BY-SA 3.0 , https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Arco_di_costantino,_plinti_01.JPG
Luciano Tronati, CC BY-SA 4.0 , https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Arco_di_Costantino_-_Roma_08.jpg

313年それまで迫害を受けていたキリスト教をコンスタンティヌス帝が公認。初期キリスト教時代へと移り変わってゆくときです。

コンスタンティヌス大帝の巨象の頭部

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rome-Capitole-StatueConstantin.jpg

紀元前324年以降

大理石

約2.5メートル


カピトリーノ美術館

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Statua_colossale_di_Costantino_I.jpg