330年にコンスタンティヌス大帝が、首都を東方のビザンティウム(現在のイスタンブール)へ移します。
政治や文化の中心が移った東欧地域では、初期キリスト教美術を母体に、ギリシアのヘレニズム美術や、メソポタミアのササン朝ペルシア美術の影響を受けて、ビザンティン美術が発展します。
その特徴は、精神的、霊的なものを求め、荘厳な様式と鮮やかな色彩、金地を贅沢に使った装飾性です。
建築においては、大ドームとモザイク壁画が発達します。
聖堂は神の館として建てられ、床(地上)からアプスや大円蓋部(天)へと、豊かな壁画装飾が生まれています。
時代 4~15世紀頃
地域 東ローマ帝国(東ヨーロッパ)
キーワード モザイク、イコン、教会堂建築(バシリカ式・集中式)、写本装飾、フレスコ、バシリカ式
アハ(ハギア)・ソフィア大聖堂
4世紀に創建後、2度の大火に見舞われ、537年にユスティニアヌス1世が再建。
正方形に近いバシリカの上に、集中式の巨大なドームを組み合わせた「ドーム式バシリカ」。(集中式は、正多角形や円形を基本として、天国を象徴する円蓋を設けた様式)
キリスト教の大聖堂として建てられ、オスマン帝国時代にはイスラム教のモスクとして使用。現在はアヤ(ハギア)・ソフィアとよばれる博物館です。
キリストと皇帝コンスタンティノス9世、皇妃ゾイ
1028-34年(1042頃改修)モザイク
ギリシアやローマでは、主に大理石で建物を装飾していましたが、ビザンティンの教会建築では、モザイクによって装飾されました。
(モザイクは、様々な色の石やガラスなどの小さな断片を貼り付けて、模様や図柄を描く技法。色彩の美しさと耐久性の高さから、盛んに用いられました。)
皇帝ユスティニアヌス一世と侍臣たち
547-548年頃 モザイク
サン・ヴィターレ聖堂(ラヴェンナ)
イタリアのラヴェンナは、6世紀以降ビザンティン帝国によるイタリア統治の拠点となった都市。
この時代 のモザイクに描かれた人物は、背が高くて目が大きめです。この堂々とした姿は精神的な強さと、人間の理想像を示しています。
光の反射で透明感のある、美しい輝きの壁面が創り出されました。このサン・ヴィターレ聖堂は、ビザンティン建築の代表的な聖堂です✨
ウラディミールの聖母
正式名 《ウラジミールの生神女》(しょうしんじょ)
作者不明
1131年 テンペラ画
トレチャコフ美術館(モスクワ)
キリストや聖人の像を描いた礼拝用の聖像画を「イコン」と言います。(ギリシア語で「肖像」や「形像」を意味する「エイコン」に由来)
キリスト教が公認され広く布教されていく中で、聖像画や立体の聖像がたくさんつくられるようになりました。本来キリスト教では偶像崇拝を否定しています。
730年、東ローマ皇帝レオ3世は、イコン崇敬の行き過ぎを憂いて、聖像禁止令を出し、イコノクラスムが起こります。聖像を破壊する運動です。(クラスムは「破壊」を意味する「クラオー」に由来)
これによって多くの修道士や画工がイタリアに逃れています。
最終的には843年にイコンの正統性が再認識され、再びイコン表現が活発になります。
聖三位一体
アンドレイ・ルブリョフ(1360/70-1430年頃)
1425-27年 テンペラ
142×114㎝ トレチャコフ美術館(モスクワ)
【参考図書】
改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2019
続西洋・日本美術史の基本 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2018
増補新装 カラー版 西洋美術史 高階秀爾監修 株式会社美術出版社 2021
カラー版 1時間でわかる西洋美術史 (宝島社新書) 宮下規久朗著 宝島社 2018
芸術教養シリーズ5 古代から初期ルネサンスまで 西洋の芸術史 造形篇I 水野千依編 株式会社幻冬舎 2013