初期キリスト教の美術

Dnalor 01, CC BY-SA 3.0 , https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rom,_Basilika_Santa_Maria_Maggiore,_Innenansicht.jpg
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初期キリスト教の美術

中世の美術はローマ帝国でのキリスト教弾圧時代から始まります。

1世紀、ユダヤ教から分派してイタリア半島へ伝えられたキリスト教。ローマ帝国の弱体化とともに、信者が増えていく中、2世紀末~3世紀頃にキリスト教美術が生まれます。

しかし313年、コンスタンティヌス大帝がキリスト教を正式に認めるまでは、迫害を受けており、教徒はひっそりと、地下で祈りのための美術を育みました。

キリスト教が国教となってから、各地で教会堂の建築が盛んになります。そして建物の天井や壁に、聖書の教えが描かれるようになっていきました。


年代
 2世紀末~5世紀頃
地域 ローマ全域
キーワード カタコンペ・教会堂建築

善き牧者

shakko, CC BY 3.0 , via Wikimedia Commons. https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Good_sheperd_pushkin.jpg

紀元前300年頃

ヴァティカン美術館

 青年「キリスト」「信者」を意味します。
これは「新約聖書」で、イエスが「私は善き羊飼いである」と語ったことによります。
カタコンべの天井画によく描かれている像です。

プリシラのカタコンペ 3世紀後半 PD
サン・カリクストスのカタコンベ PD
ガッラ・プラチディア廟堂(ラヴェンナ)440年頃, Meister des Mausoleums der Galla Placidia in Ravenna, Public domain

カタコンベ

サン・カリスト(ローマ) User GerardM on nl.wikipedia, CC BY-SA 3.0 ,https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Catacombe.jpg

2世紀末~4世紀後半

地下墓所

 

キリスト教徒が死者の埋葬のために、地中に張り巡らした地下墓所。ローマを中心に、地中海沿岸のほぼ全域に造られました。

キリスト教は「キリスト」が絶対の神。よってローマ皇帝も認めないというきまりがあったため、帝国から迫害を受けていました。正式に認められるまで、教徒たちは、弾圧を避けて、地下にカタコンベを造りました。

その壁や天井にキリストモチーフの寓意的な絵を描いて、死後の魂の救済を願いました。

カタコンベは「窪地のあたり」を意味する言葉が語源。

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂

Dnalor 01, CC BY-SA 3.0 , https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rom,_Basilika_Santa_Maria_Maggiore,_Innenansicht.jpg

432-440年頃

法皇シクトゥス3世(在位432-40)が建築

ローマ4大大聖堂のひとつ
1000年にわたり改築が繰り返されています

長方形の長軸方向に円柱を配置して、奥に半円形の祭壇が置かれるバシリカ式は、教会堂の基本構造となっていきます。

天井や壁に描かれた聖書の様々なシーンは、字を読めない者への目でみる聖書となるため、全体を美しく描こうとするのではなく、キリストの教えが重要視されました。

Papageno Papagena, CC BY-SA 3.0 , https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Santa_Maria_Maggiore,_apse_mosaic.JPG
PD
Antoine Taveneaux, CC BY-SA 3.0 , https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Interior_of_Santa_Maria_Maggiore_(Rome)_15.jpg