メソポタミアの美術

メソポタミアの美術 ウルのスタンダード
『戦争の場面』

メソポタミアの美術

ティグリス川とユーフラテス川に囲まれた地域は、メソポタミア地方と呼ばれ、エジプトとほぼ同時期に人類最初の文明が始まりました。

紀元前4000年頃から、ペルシャ湾周辺に多くの都市を築いたシュメール人が、メソポタミア文明の基礎を築いたと言われています。   
彼らはくさび形文字を使って記録を残し、日干しレンガなどで家を建てました。

大きな平原の豊かな土地で文明は発達しますが、常に侵略を受けた地域でもあります。異なる国家によって支配されながら、様々な美術が生まれました。


年代
 紀元前4000年頃 シュメール都市文明 
   紀元前2400年頃~紀元前2200年頃 アッカド
   紀元前2000年頃 バビロニア王朝
   紀元前2000年頃~紀元前612 アッシリア
   紀元前625年~紀元前538年 新バビロニア
   紀元前550年~紀元前330年 アカイメネス朝ペルシア
   226年~651年 ササン朝ペルシア

地域 メソポタミア地方

キーワード 楔型文字・日干しレンガ・巨大神殿・金属工芸・レリーフ

メソポタミア文明 場所
Rosemaniakos from Bejing (hometown), CC BY-SA 2.0 , https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mesopotamia_male_worshiper_2750-2600_B.C.jpg

紀元前2750~2600年

アブ神殿から発掘された石像彫刻

大きく見開いた目は「魂の窓」と言われ、像の中に神が宿ると信じられていました。

ウルのスタンダード

ウルのスタンダード 平和の場面
『饗宴の場面』『平和の場面』
ウルのスタンダード 戦争の場面
『戦争の場面』 Denis Bourez from France, CC BY 2.0 , https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Denis_Bourez_-_British_Museum,_London_(8747049029)_(2).jpg


紀元前2500年

木箱の副葬品

シュメールの古代遺跡「ウルの王墓」から出土

H21.6xW49.5xD4.5㎝

大英博物館所蔵


貝殻
を切って図像を表し、赤色石灰岩をちりばめ、ラピスラズリを地の部分に埋め込んでいます。最初期のモザイクと言われています。

両面に表されているのは「戦争」と「平和」で、下段から上段へむかって物語が展開しています。

スタンダード(旗章・軍旗)と呼ばれていますが、実際の用途は不明。

アッカド王の頭部

アッカド王

紀元前2350年頃

銅製の頭像

アッカド王サルゴンがシュメール文化を征服し、メソポタミアにはじめて統一王朝を建てます。

支配者を賛美したものがつくられるようになります。

 

イラク国立博物館所蔵

ナムラ・シンの石碑

ナムラ・シンの石碑
Rama, CC BY-SA 3.0 FR , https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Victory_stele_of_Naram_Sin_9068.jpg
ナムラ・シンの石碑

紀元前2250年頃

高さ 約200㎝

ルーブル美術館

4代王ナラム・シーンの戦争の勝利を祝ったもの

遠征時の様子で、中央のひときわ大きい王と、それに続く兵士たちが、山岳をバックに表現されています。

記念碑(モニュメント)としては世界最古

ハンムラビ法典碑

ハンムラビ法典
『王と太陽神シャマシュとの王権叙任』
ハンムラビ法典
Jaume Bonet, CC BY-SA 2.0 , https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Code_of_Hammurabi_75.jpg
ハンムラビ法典
Louvre Museum, CC BY 3.0 , https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/64/P1050763_Louvre_code_Hammurabi_face_rwk.JPG
ハンムラビ法典
Louvre Museum, CC BY 3.0 , https://commons.wikimedia.org/wiki/File:P1050551_Louvre_code_d%27Hammurabi_recto_rwk.JPG

紀元前1792~紀元前1750年

高さ 225㎝

アッカド王朝の後、メソポタミアは長い混乱の時期に入ります。
それを静めて統一させたのがバビロニア王朝です。
その偉大な王ハンムラビがまとめた 人類最初の法律です。

上部に神と向き合う王の姿が浮彫りにされ、下部には楔形文字で、法典の全文が刻まれています。
196・197条に「目には目を、歯には歯を」

家族や奴隷、農業や経済などについて、当時の司法と社会の実態を伝えています。