
「ルネサンス」とは「再生」を意味するフランス語。14世紀から16世紀にイタリアで生まれた古代文化復興運動を指します。
その始まりの都市、フィレンツェでは14世紀以降、経済が活性化。技術や生産力の発展により、「人間」であることに自信や誇りを持つ「人文主義」という新しい精神が生まれます。人間を尊重してすばらしい文化を残した古代ギリシア・ローマ美術の復興を通して、自然の美や人間性を取り戻そうとしました。
芸術革新は彫刻・建築・絵画へと広がりを見せます。神話を題材とした作品や、ヴィーナスという名目の裸体も描かれるようになります。空間と人体と感情の表現が発達しました。
そして大銀行家一族メディチ家の庇護のもと、優れた文人や芸術家が輩出されました。
年代 プロトルネサンス(幕開けの頃)1300~1400年
初期ルネサンス 1400~1500年
地域 フィレンツェ
特徴 神話・遠近法の確立・人物に表情が生まれる・師弟制

フィリッポ・ブルネッレスキ
Filippo Brunelleschi
1377年-1446年4月15日
ルネサンス最初の建築家で、透視図法を使った最初の人物とされています。
数学的秩序と比例重視の建築理念は、のちの建築家に継承されていきます。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂円蓋

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:View_of_Santa_Maria_del_Fiore_in_Florence.jpg
ドーム部 1420-36年
(大聖堂の建設の始まりは1296年)
ルネサンス期の建築は、絵画や彫刻と同様の芸術作品として造られ、建築家の個性や、理想的な比例、調和が重視されました。
ブルネッレスキは、古代建築をベースに、アーチやヴォールト*などの構造を導入。そこに数学的秩序を融合させ、この大円蓋を完成させました。
円は無限の宇宙の象徴です。
*ヴォールト/アーチをもととした石造や煉瓦、コンクリート造の曲線天井の総称

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Florence_duomo_fc10.jpg

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Dom_Florenz_Kuppelfresko.jpg

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Federico_zuccari,_angeli_con_strumenti_della_passione,_1574-79,_06_colonna,_croce.JPG
ドーム内のフレスコ《最後の審判》は、ジョルジョ・ヴァザーリと、フェデリコ・ツッカリによるもの。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂円蓋

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Pazzi_Chapel_Florence_Apr_2008.jpg

「パッツィ家礼拝堂」
フィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂付属
円と正方形を基調とする構造。中央の集中式プランに完全な円形ドームがかかっています。
ジョット

ジョット・ディ・ボンドーネ
Giotto
1267年頃-1337年1月8日
イタリアの画家・建築家
14世紀初めに活躍
ルネサンス美術を準備した天才画家
「西洋絵画の父」とも言われます
《ユダの接吻》

1304-06年 スクロヴェーニ礼拝堂(パドヴァ)
ジョットは、無表情だった人間の顔に、自然な感情表現を与えます。また正確ではないものの遠近法を取り入れ、奥行きのある空間表現を試みます。

, https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cappella_degli_Scrovegni.jpg

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:La_Cappella_degli_Scrovegni.JPG
スクロヴェーニ礼拝堂
👆左下手前に《ユダの接吻》
マザッチョ

マザッチョ
Masaccio
1401年12月21日-1428年(26歳没)
イタリア
建築家ブルネッレスキから透視図法の手ほどきを受けています。
《貢の銭》

1425-27年頃
サンタ・マリア・デル・カルミネ教会
ジョットに人間らしい表現を受け継ぎ、生きた人間の動きを研究。
初めて正確な一点透視図法を使って絵を描いています。


https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cappella_brancacci_03.JPG
👆左の壁面 上の段が《貢の銭》
ちょっとわかりにくですね ^^;
《聖三位一体》(父と子と聖霊)

1427年頃 フレスコ壁画
667×317㎝ サンタ・マリア・ノヴェッラ教会(フィレンツェ)
聖母マリアと洗礼者ヨハネとパトロンが描かれ、一点透視図法により描かれています。
消失点はイエスの足の少し下あたり…
フラ・アンジェリコ

フラ・アンジェリコ
Fra Angelico
1390/95頃~1455年2月18日
本名はグイ―ド・ディ・ピエトロ
イタリア修道院僧画家
謙虚に生きながら、可憐で清楚な絵を描くことから「フラ・アンジェリコ(天使のような修道士)」と呼ばれるように。
《受胎告知》

1438-45年 フレスコ壁画
230×321㎝ サン・マルコ修道院(フィレンツェ)
「受胎告知」は、新約聖書に書かれたエピソードの1つ。
マリアのもとに大天使ガブリエルがやってきて、キリストを妊娠したことを告げます。マリアがこれを受け入れるという場面です。両手を交差させるのは、同意のポーズ。
大天使ガブリエルは、ミカエル、ウリエル、ラファエルとともに4大天使の一人。唯一女性の姿で描かれます。
フラ・アンジェリコはマザッチョの遠近法を取り入れて、静寂な祈りと瞑想の絵画を生み出しました。
生涯に15枚近くの《受胎告知》を描いてます。

絵の下に書かれている銘文は
“VIRGINIS INTACTAE CUM VENERIS ANTE FIGURAM PRETEREUNDO CAVE NE SILEATUR AVE”
「永遠なる処女の像の前を通り過ぎる時には必ず、アヴェ・マリアと唱えることを忘れぬように」
その他の《受胎告知》✨

1425年頃 テンペラ・板
194×194㎝ プラド美術館(マドリード)

1433-34年 テンペラ・板
175×180㎝ 司教区美術館(コルトーナ)

1438-46年頃 フレスコ
250×321㎝ サン・マルコ修道院(フィレンツェ)
ピエロ・デッラ・フランチェスカ

ピエロ・デッラ・フランチェスカ
(1415/20頃~1492年10月12日)
イタリア初期ルネサンスを代表する画家。
数学と透視図法の研究に基づき、遠近法と光を融合した空間に、幾何学的な形態を合わせ、威厳ある宗教画を制作しました。
《聖十字架物語》

1454-64年頃
サン・フランチェスコ教会(アレッツオ)
幾何学的で無駄のない、秩序正しい画面の中に、澄んだ色彩と豊かな人体を表現しました。透視図法を駆使し、簡潔で安定感のある空間構成です。
《キリストの洗礼》

1437年以降 テンペラ・板
167x116㎝ ナショナル・ギャラリー(ロンドン)
新約聖書の福音書の中、キリストの生涯のエピソードのひとつで、ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けるキリスト。
その時鳩の姿をした聖霊が天から降りてきて「これは私の愛する子」という声が天から響き渡ったと!イエスが神に選ばれた存在であることを、初めて示した重要なエピソードです。
ハト(聖霊)とヨハネの手とイエスが一直線に並び、イエスの両隣、ヨハネと樫の木は 均等に配置されています。
《ウルビーノ侯爵夫妻の肖像》

474年頃 油彩・板
33x47㎝ ウフィツィ美術館(フィレンツェ)
初期ルネサンスの肖像画は、古代ローマのコインを手本に、真横から見た構図で描かれていました。
15世紀に入り、フランドル地方(現在のベルギー西部から来たフランス・南オランダ)で、斜め前から描かれます。
正面からの肖像はキリストのものと考えられていました。
ヴェロッキオ

アンドレア・デル・ヴェロッキオ
(1435頃~1488年6月30日)
専門は彫刻でしたが、絵画・版画・鋳造・金細工・機械工学・数学・音楽…などの才能を持ち、教育家としても第一人者でした。
《キリストの洗礼》

1470-72年 油彩・板
177x151㎝ ウフィツィ美術館(フィレンツェ)
アンドレア・デル・ヴェロッキオは、ありのままの人体の美しさを表現した画家。
この作品はフィレンツェのサン・サルヴィ修道院の依頼によって制作され、ヴェロッキオのデッサン後、何人かの弟子によって仕上げられたと考えられています。
左側の天使や背景は、レオナルドに描かせたといわれています。
彼の工房ではレオナルド・ダ・ヴィンチや、ラファエロの師といわれるペルジーノも修業しています。
中世から17世紀頃までのヨーロッパでは、工房の職人は 親方のもとで、共同・分担して制作に携わり技術を高めました。
ボッティチェリ

サンドロ・ボッティチェリ
(1444/15~1510年5月17日)
専門は彫刻でしたが、絵画・版画・鋳造・金細工・機械工学・数学・音楽…などの才能を持ち、教育家としても第一人者でした。
《ヴィーナスの誕生》

1482-85年頃 テンペラ・キャンバス
172.5x278.5㎝ ウフィツィ美術館(フィレンツェ)
生れたばかりのヴィーナスが、貝殻の上で「恥じらいのポーズ」。これは古代ローマ彫刻に由来するポーズです。
ルネサンスの始まりを象徴する作品として、よく取り上げらる作品です。メディチ家からの注文で描いたと言われています。
《プリマヴェーラ(春)》

1477-78年頃 テンペラ・板
ウフィツィ美術館(フィレンツェ)
《ヴィーナスの誕生》 とともに、こちらもメディチ家からの注文で描いたといわれています。
当時イタリアで権勢を振るったメディチ家は、キリスト教の制約を受ける中世芸術よりも、人間中心のギリシア・ローマ時代の芸術を好みました。
庇護された芸術家は、アルベルティ、ドナテッロ、ボッティチェリ、 レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ…など♪
上の2つの作品はどちらもテンペラ画 。
「テンペラ」とは「混ぜ合わせる」とう意味のラテン語、Temperareが語源です。主に卵黄と顔料を混ぜ合せた絵具で描かれた絵をテンペラ画といいます。
19世紀の産業革命で、チューブ絵具がでてくるまでは、漆喰の壁面に描いたフレスコ画や、石膏を下地に塗った板に描いたこのテンペラ画が主でした。
油絵には黄変・暗変がありますが、テンペラ画は経年劣化が少なく、鮮明な色彩を保ちます✨
《受胎告知》

1489年 ウフィツィ美術館(フィレンツェ)
ボッティチェリの《受胎告知》✨
16世紀以降も 受胎告知は多くの作家によって、さらに劇的に自由に描かれていきます。
続西洋・日本美術史の基本 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2018
増補新装 カラー版 西洋美術史 高階秀爾監修 株式会社美術出版社 2021