3級 過去問/Q.178
東寺は、平安京遷都に伴って建立されました。
唐で新しい仏教である密教を学んで帰国した空海が、823年 嵯峨天皇より東寺を賜り、真言宗の根本道場としました。
唐で密教を修めた空海は、講堂に彫刻による曼荼羅の設置を計画します。
8世紀に中国で体系化された密教では、伝道や儀式、瞑想に、造形が重要な役割を果たしていました。空海や最澄ら留学僧は、密教の教えとともに、密教画や白描の図像を日本へともたらしました。
中でも「曼荼羅」は、密教が唱える世界と心理をわかりやすく表現したものです。
《金剛界曼荼羅》(こんごうかいまんだら)
現実の世界 人の持つ知恵や修行の階程
《胎蔵界曼荼羅》(たいぞうかいまんだら)
悟りの世界 普遍的理性や仏の内容
空海はこの曼荼羅の世界を、よりリアルに伝えようと、21尊の仏様で、立体曼荼羅として表現しました。
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3級 過去問/Q.179
839年 東寺
《梵天坐像》(ぼんてんざぞう)は、四面四臂(しめんしひ/4つの頭部と4本の腕)で、4羽の鵞鳥(ガチョウ)が支える蓮花の上に坐しています。
正面の顔のみ、額に第三の目を持っています。
梵天はインドの古代神話での宇宙創造の神で、密教では仏法の守護神です。
こちらの画像がわかりやすいです👇
この《梵天坐像》は、木心乾漆技法(もくしんかんしつぎほう)で制作されています。
大まかな木彫像の原型に、漆と木くずなどを混ぜたもので盛り付ける造形です。
体つきは柔らかくふくよかですね。
服装は奈良時代とは異なり、当時最新の図像をもとに制作されています。
3級 過去問/Q.180
《薬師如来立像》頭部
8世紀後半 H169.7㎝
神護寺(京都)
全体像はこちらのサイトで確認を👇
一つ前の問題に出てきました東寺の《梵天坐像》は、木心乾漆技法でしたね。
同じ平安時代前期に、一木造の技法も使われました。
この《薬師如来立像》は、両手先以外のほとんどの部分を、一本の素木から彫り出した木彫像です。
この時代、密教の教えをとり入れて修業を行う山林修業者たちをはじめとして、山を神聖なものと考え、そこにある木にも霊的な力が宿ると考える「霊木信仰」が広まります。
仏師たちは、それまでの乾漆造や塑像の仏像に代わって、1本の木から像を彫り出す一木彫成像(いちぼくちょうせいぞう)を盛んに造るようになりました。
ボリュームのある肉体に、鋭く深い彫り、大小の波を規則的に繰り返す衣文線(えもんせん)など、平安前期の仏像の特徴です。
観心寺(大阪)の《如意輪観音坐像》(にょいりんかんのんざぞう)も一木造です。
《如意輪観音坐像》
840年頃 国宝
腕と両膝の前部は、別材をつなげていますが、それ以外の主要部が一木造です。
【参考図書】
知る、わかる、みえる 美術検定3級問題[基本編 basic] 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2021
改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2019
続 西洋・日本美術史の基本 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2018
芸術教養シリーズ1 信仰、自然との関わりの中で 日本の芸術史 造形篇I 栗本徳子編 株式会社幻冬舎 2013