
オノ・ヨーコ(小野洋子/1933-)というと、まずジョン・レノンが浮かびますね。 フルクサスのメンバーの1人でした。
「フルクサス」は、創始者ジョージ・マチューナスを中心に、1960年代にドイツで結成されました。後にニューヨークを中心に展開した芸術運動です。
詩や音楽を交えたパフォーマンスは「イヴェント」と称されて、日常的な場所を芸術表現のための場、とするような活動を多く行いました。
「フルクサス」は、3級Q.151の問題でも確認を!
オノ・ヨーコの代表的イヴェントは1965年の《カット・ピース》です。舞台上に座った彼女の衣服を、観客が順番に切り刻んでいくというパフォーマンスです。こちらのサイトを参考に👇
日本では、草月ホールがフルクサスの活動の舞台となりました。
3級 過去問/Q.263

工藤哲巳(くどう てつみ/1935-90)の代表的作品《X型基本体に於ける増殖性連鎖反応》は、こちらのサイトで確認できます👇
「反芸術」は、既存の美術への根本的な問いかけや、新たな問題を提起しようとする芸術傾向です。
日本ではとくに「読売アンデパンダン」展に出品された反社会的な表現や、過激化した芸術家たちのパフォーマンスに対して多く使われます。
この作品を、美術評論家の東野芳明が「ガラクタの反芸術」と呼んだことで、その名称が一般化しました。
ほかの選択肢の正しい組み合わせ👇
3級 過去問/Q.264
中西夏之(なかにしなつゆき/1935-2016)
一つ前の問題で出てきた、洗濯バサミの作家ですね。
1963(昭和38)年、高松次郎と赤瀬川原平とともに「ハイレッド・センター」を結成します。
その名称は、高松・赤瀬川・中西の3人の名前の最初の文字を、英語にして組み合わせたものです。
高松の高 ➝ high ハイ
赤瀬川の赤 ➝ red レッド
中西の中 ➝ center センター
奇異な化粧で電車に乗ったり、白衣で銀座の街路を清掃したりと、日常的な場所で非日常的な行動やイベントを行い、社会的関心を集めました。
3級 過去問/Q.265
2つ前の問題で出てきましたね。
「読売アンデパンダン」展という名前は、当初「日本アンデパンダン」展でした。読売新聞社主催のもと、1949年に東京都美術館で始まりました。
しかし日本美術協会主催の同じ名前の展覧会から抗議を受け、1957年に改称しています。
無審査・無償・自由出品だったため、人気を博しましたが、既存の形式に飽き足らない作家たちが、それまでの概念を破壊するかのような作品が発表され、過激化しました。
その行きすぎた過激さによって、1962(昭和37)年に東京都美術館が「陳列作品規格基準要項」を制定します。
しかし状況が変わらなかったため、1964(昭和39)年の第16回開催を前に中止となっています。
3級 過去問/Q.266
河原温(かわら おん/1932-2014)は、コンセプチュアル・アートの第一人者です。
1950年代、身体がバラバラになった人間を浴室の中に描いた「浴室」シリーズを発表し注目されますが、1965年、ニューヨークに拠点を移してからは、一転してコンセプチュアルな作品を制作します。
「日付絵画」シリーズは、1966(昭和41)年の34歳の時から亡くなるまで毎日、日付だけを描いた作品です。
日付絵画の確認はこちらを👇
その日一日の生活や、社会の出来事などすべてを、日付という記号に凝縮させています。
「コンセプチュアル・アート」については、簡単ですが Q.156で確認を!
河原温の他のシリーズとして
「I READ」(「日付絵画」制作日に関係する新聞記事)
「I MET」(その日に会った人物の名前)
「I WENT」(その日滞在し通った道筋を示した地図のコピー)
などがあり、いずれもルーズリーフ・ファイルに綴じ込まれています。
👇こちらは「One Million Years(百万年)」シリーズです。

「百万年過去」(紀元前998,031年~1969年)と、「百万年未来」(1981年~1,000,980年)もあり、延々と年代がタイプ打ちされています。
【参考図書】
知る、わかる、みえる 美術検定3級問題[基本編 basic] 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2021
改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2019
続 西洋・日本美術史の基本 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2018
増補新装 カラー版日本美術史 辻惟雄監修 株式会社美術出版社 2020