3級 過去問/Q.259
山口勝弘(やまぐち かつひろ/1928-2018)は、造形作家として活動をはじめ、後にビデオメディアを使っての表現者となります。
日本でいち早く、最新のテクノロジーを取り入れて活動した作家です。
「実験工房」は、 山口勝弘の他、音楽家の武満徹や、音楽評論家の秋山邦晴、他にピアニストや写真家など、様々なジャンルで活動する14人で構成。総合芸術の実験を推進したグループです。
「実験工房」という名前は、まとめ役だった瀧口修造(シュルレアリスムを日本にもたらした美術評論家・詩人)が命名しました。
1951年、ピカソ展の前夜祭としての創作バレエ公演が第1作となり、その後舞台や映画など、幅広い分野で共同制作を行っています。
山口勝弘は、1970年の日本万国博覧会では、三井グループ館の総合プロデューサーを務めています。
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和楽器(琵琶・尺八)をとり入れたオーケストラによる《ノヴェンバー・ステップス》(1967年)で、日本を代表する現代音楽家に。
ビデオ・アートといえば、ナム・ジュン・パイクが代表的な存在です。(3級Q.162)
3級 過去問/Q.260
具体美術協会は、ひとつ前の問題に出てきた「実験工房」(1951年)に続いて、1954年に、兵庫県芦屋市で結成された前衛芸術集団です。
中心となったのが前衛作家の吉原治良(よしはら じろう/1905-1972)。写真の右側が吉原です。
谷川三郎(左)と 吉原治良(右)
吉原の指導のもと、従来の素材や表現にとらわれない実験的な試みが推奨されました。今でいうパフォーマンスやインスタレーションを先取りするものでした。
吉原は、抽象画家で実業家でもありました。
代表作《黒地に白》👇
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具体美術協会の他の主要メンバ-は、
天井から吊るしたロープにぶら下がって、床に広げたキャンバスに足で描く「フット・ペインティング」で知られます。
《紙破り》は、木枠に張った多数の紙を突き破って通り抜けるパフォーマンスです。
電線と電球からなる《電気服》を着用しました。
当時、吉原以外は皆20代の若手で、破天荒な作品が生まれました。
機関誌『具体』を発刊し、海外に送るなど国際的にも注目を集めましたが、1972年、吉原の死により解散しています。
3級 過去問/Q.261
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《鬼》
1957年 油彩・合板
145×112.5㎝ 神奈川県立近代美術館
斎藤義重(さいとう よししげ/1904-2001)は、日本の前衛芸術を牽引した作家の一人です。
厳格な軍人家庭に生まれ、幼いころより美術に興味を示します。少年時代に、ロシア未来派の展覧会に影響を受けて、戦前から前衛芸術を模索するようになりました。
1930年代には、絵画の枠組みを超えた立体的な作品に向かいます。1950年代後半から、日本国際美術展(東京ビエンナーレ)での受賞をはじめ、国際的にも注目されるようになりました。
長岡現代美術館(1964-79年の期間)
1964年、多摩美術大学で教鞭を執ります。
斎藤教室からは、後に「もの派」として活躍するの関根信夫(せきねのぶお/1942-2019)や、菅木志雄(すが きしお/1944-)など、多くの現代美術家が巣立っています。「もの派」は、石や木や鉄板など、ほとんど手を加えない「もの」を単体や組み合わせで作品として、ものへの還元から芸術の再創造を目指した流れです。
こちらのサイトで詳しく作家を紹介しています👇
関根信夫や菅木志雄については、後の問題で。
【参考図書】
知る、わかる、みえる 美術検定3級問題[基本編 basic] 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2021
改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2019
続 西洋・日本美術史の基本 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2018
増補新装 カラー版日本美術史 辻惟雄監修 株式会社美術出版社 2020
この絵、誰の絵? 100の名作で西洋・日本美術入門 佐藤晃子著 株式会社美術出版社 2019