3級 過去問/Q.250
日本民藝館(目黒区)
柳宗悦(やなぎ むねよし)。「そうえつ」とも読まれます。
白樺グループのひとりだった宗悦を中心に、民藝運動が展開されました。「民藝」は、宗悦が考え出した言葉で、民衆的工芸品の略語です。
宗悦によると「民藝品」とは、無名の職人たちがつくった日常生活のための実用品で、その地方の特徴が現れたものを指します。
それまで美術品とは考えられなかった食器や道具などに、美を見出して、広く世の中に知らせました。
宗悦は、朝鮮半島や沖縄、日本各地から民藝品を収集しています。
1936年、民藝運動の拠点として日本民藝館が開設されました。
西館(長屋門)
宗悦の長男は「バタフライスツール」のデザインで知られる柳宗理(やなぎそうり/本名はむねみち)です。
次男は美術史家の柳宗玄(むねもと)で、三男は園芸家の柳宗民(むねたみ)です。
3級 過去問/Q.251
《炎舞》 1924年
山種美術館 重要文化財
速水御舟(はやみ ぎょしゅう/1894-1935)は、浅草の生まれ。院展で活躍した日本画家の1人です。
20代前半は兄弟子の今村紫紅(いまむら しこう)の影響を受け、明るい画風でした。
《新緑》
1915年 足立美術館
西洋絵画の動向にも敏感だった御舟は、20代後半になると、デューラーの影響や、象徴主義の影響が伝わる画風へと変わります。
炎に群がる蛾の怪しさを表現したこの《炎舞》(えんぶ)は、そうした傾向を集約した代表作といわれています。
日本画にはなかった徹底した写実や、細密な描写を追求して、伝統的な空間構成と装飾性をそなえ、独自のスタイルを築きました。
《炎舞》や今村紫紅については、4級Q.97でも取り上げました。
3級 過去問/Q.252
カンディンスキーとも親交があり、ロシア革命を避けて1920年に来日した未来派の ブルリューク(1882-1967)の指導によって、日本の前衛美術運動が活気づき、いろいろなグループが生まれます。
前衛美術(アヴァンギャルド)とは、フォーヴィスムやキュビスム、未来派、ダダ、シュルレアリスム、抽象など。
これらがごちゃまぜとなり、この頃から、前衛的、挑戦的、破壊的な画家たちの活動が一気に増えました。
1922年、神原泰(かんばらたい/1898ー1997)や、矢部友衛(やべともえ/189-1981)、岡本唐貴(おかもととうき/1903-1986)らによって「アクション」が結成されました。
神原の《スクリアビンの「エクスタシーの詩」に題す》は、音楽と絵画を同時に扱ったカンディンスキーの影響がみられます。
「アクション」が結成される前、
1920年には未来派の影響を受けて「未来派美術協会」が、
1923年には「マヴォ」(日本のダダ)が、
そして1924年に、アクションを含むこれら前衛グループが一堂に集まり、「三科造形美術協会(三科)」が結成されました。1925年には、開店まもない銀座の松坂屋にて、展覧会を行っています。
忘れていけないのが、1923(大正12)年の9月1日。あの関東大震災が起こります。あの大災害により、廃墟となった街を前に、虚無感とともに再建のエネルギーといったものを、前衛作家たちは自分の作品の中へと持ち込み、活発にいろいろな表現を生み出していきました。
【参考図書】
知る、わかる、みえる 美術検定3級問題[基本編 basic] 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2021
改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2019
続 西洋・日本美術史の基本 美術検定実行委員会編 株式会社美術出版社 2018
増補新装 カラー版日本美術史 辻惟雄監修 株式会社美術出版社 2020
この絵、誰の絵? 100の名作で西洋・日本美術入門 佐藤晃子著 株式会社美術出版社 2019